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OFF 会 2.0

書いてる途中で長く放置してしまったので一旦区切る。

で、この一年ほどの発見として、「いはゆる OFF 会」は結構不便というか、あれはあまりいいものではないよなということが、おれの中で表面化してきたという認識が、春頃からじわじわとあった。だったらどうなったらいいんだという話だが、それについての発見なども GW 以降にいくつかあったので、それについて書いてみたい。

  • 「いはゆる OFF 会」FUCK OFF
    • 「いはゆる OFF 会」は、そういう様式が成立したことによって、遍くネットワーカーの OFF 会開催障壁を引き下げる役割と負ったとは思うが、いまや多くのネットワーカーはその段階を過ぎ、その役割を終えつつある。それでもまだ多くの場合には「いはゆる OFF 会」という幻想は有効に機能しているようにも見えるが、しかし状況は流動しつつ複雑化しており、画一的なイメージによって、むしろ障壁が引き上げられてしまう局面が生じている(場合がある)。
    • Web 2.0 が「なにかいいことずくめのすごい革命が起きます的なことを言っているようでいて、じつはこれまでできなかたことができるようになるかわりに、これまでできたことができなくなってしまうことだってあるかもね的なものだった」的な実態であったのと同様に、できることを増やしつつできないことも容認するような、もうちょっと自由の枠組みが時代から要請されているのである。たぶんこれが WTC 以降の OFF 会であり、または OFF 会 2.0 ということである。
  • 「いはゆる OFF 会」がダメなこれだけの理由
    • いはゆる OFF 会は、案外金がかかる
      • 「いはゆる OFF 会」は、だいたい一回 2,500 〜 5,000 円くらいかかる。一次会でそれくらい、二次会以降はまた別途。社会人が週末に遊ぶのにそれくらいどうってことはないといえなくはない…が、学生のひとがはしゃいで夜から朝まで参加して一万円くらい出費しました、というのでは、けっこう痛い。またこれが月に一回ならいいけどおもしろそうな OFF 会が月に三回とか四回とか立て続きました、というのではどうなるか。OFF 会行くだけで毎月一個 XBOX 360 コアシステムが買えるくらいの金が飛んでいくことになるか、またはせっかくの参加機会を逸する。これは十分アホらしい。確かにひとと会って話すのは楽しいけど、それべつに毎回酒飲んで揚げ物食いながらでないとできないことか。数時間数千円の飲み食いとして居酒屋は決して費用対効果の悪い場ではないが、しかし同時に値段相応の美味い飲み食いができる場というわけでもない。主目的が「ひとが集まる」であれば、集まる場は安上がりに済ませられるに越したことはない。
    • ハズレ席問題
      • 飲み屋に限らず、椅子にすわって五人以上で集まる場合に生じてしまうのが「ハズレ席」問題。座敷であればある程度緩和される(席移動が自由であるから)。基本的には自分にとっておもしろそうな集まりだからこそ参加するわけだけども、座席固定の宴会では、自分が最も参加したいような話題が、自分のついたテーブルで盛り上がってくれるとは限らない。自分が話してみたいと思っていたひとたちとは別の座席に割り当てられてしまうこともある。野球ファンの OFF 会に行ってみたら自分のテーブルでだけなぜか異常に園芸話に花が咲いてしまってどうにもこうにも、「こんなはずでは!」「逃げ出したい!」「この席ちがった!神様ヘルプ!」だができない、…というような問題。
    • 空気圧問題、またはロールプレイへの参加の要請
      • ひとの集まりではなんでもそうだが、三人以上の場ではどうしてもロールプレイが付いてまわる。「せっかくの場であるから、それがおもしろくなるのに越したことはない」とする目的意識のもと、集まった個々人のポテンシャル毎に「このひとはこういう振る舞いをする / しない(べき)担当のひとである」という要請、つまり、空気のことだ。空気が読めないなら読めないで苦しいし、また空気に無自覚なら空回りするし、読めてしまったら読めてしまったで抑圧を受け、なかなかそこから自由にはなれない。座席の固定と相俟って、ここでも「本意ではない役割になってしまったときの逃げ場のなさ」につながってしまいがち。
  • ブルーシートという衝撃
    • …というような筋合いから、非常に強烈なインパクトを受けたのが、今年参加した一連のブルーシート会合なのだった。あれはすごい。すごいっていうかひどい。わりと杜撰。かなり投げっぱなし。べつにそれほどいいものではない。しかしそれゆえの開放感があり、これは結構有効な風穴になっていると思える。
    • ブルーシートは安上がり
      • チープともいう。
      • 参加者は基本的に自分が飲み食いするぶんだけコンビニとかで買ってもっていくだけ。ツマミとか余分に買っていっても 1,000 円ちょっとでかなり豪華。開催者のひとは別途ブルーシート購入費が必要。金のない学生さんは、(相対的に)裕福な社会人のひとから飲み物などをわけてもらえるかもしれない。
    • ブルーシートは開放的
      • 居住性が悪いともいう。
      • 適当に公園にブルーシート敷いてるだけなので、青天井吹きさらし。これは「会のエリア設定が存在しない」という意味でもあり、つまり「なんとなく参加者から見える位置に居れば、参加していることになる」という、非常にまばらなネットワーク感を実現可能ということである。仕切られた居酒屋や座敷、狭苦しいカラオケボックスなどと比較にならない広大さ。(日本は温和な人的風土であるから、道を通るひとたちも公園に座っている珍奇な集団をあまりジトジト見たりしないし)外からの視線は全開放で受け容れつつ、逆に外への視線も開放してあり、独特の参加障壁・ボーダーレス感となっている。
    • ブルーシートは参加が自由
      • 不確実であるともいう。
      • 会の説明が開催者の「何日の何時頃から何時頃までどこそこでブルーシートを敷きます」と宣言だけというのがブルーシート会合である。事前に参加者を募ったりしない。場は公園で、適当にシートを敷いてるだけなので、予約などする必要がないため参加者リストもない。ともかくその時間のうちにその場所に行ったらブルーシートがあるので、好きなときに行って居たいだけの時間参加するという参加形態が可能。誰が来るかもわからないが、逆にいうと当日寝坊して「そろそろ夕方だけど、日暮れまでまだ時間あるし、なんとなく行ってみようか」とか発作的な参加も可能。
    • ブルーシートは移動が自由
      • とにかく参加者を拘束しない(ただしケアもフォローもしない)のがブルーシート会合である。参加したからといってどこに座れどこへ移動しろということがない。座席がないのでハズレ席問題など自然消滅。居たいところに居ればよく、ちょっと人文系の毒気にあてられすぎたかなと思えば席を外して一休みすればいい。
    • ブルーシートは離脱が自由
      • 周囲を仕切るものがないのでいつでもどこへでも逃げられるのがブルーシート会合である。好きなように参加し好きなように離脱できるので、ロールプレイの要請などから自由。「あのへんに座るとおもしろそうかな」と思えばそこに座り、「この人文的位置関係でのロールプレイはおもしろいな」と思えば居続け、「ちょっと風水的に不本意なロールプレイになってしまうな」と思えば移動する。関与したくないクネクネがはじまったらブルーシート自体から離脱して、しばらく公園内をブラブラしてくるというのもアリだ。今日はダメそうだなと思えば誰に断ることなく帰ってもいい。
    • ブルーシートが抱える問題
      • 屋外なので基本的に不潔で居住性悪い。雨天時は場所の選定に難。これから冬にかけては寒くなるのでたぶん開催不能。屋内にブルーシート相当の会場設定が期待されるが、それだとブルーシート会合にある多くの特徴がスポイルされる可能性も。
        • 不潔の筋合いからあまり女性参加者が見込めず、わりあいホモソーシャルノリになりがちな気も。
          • でもこれまでに女性参加者が居なかったわけではない。
          • 「ブルーシートというから貧乏&ムサいのであって「公園でピクニック(お茶会)」的な表現にするだけでオサレ度アップですよ」
      • 風通しがよいため空気の抑圧が減った反面「場をつまらなくするひと」への有効な対策がなく、脆弱。つまり現状のブルーシート会合は、わりあい温和なおもしろげなひとたちのみの参加によって、「たまたまうまくいっている」だけのことで、ナチュラルに場をつまらなくしたり破壊してしまうタイプのひとが参加しつづけた場合、おそらく自然に解体消滅に向かう(多くの OFF 会が「来るもの拒まず」の看板をある程度に限らざるをえないのは、こういう事態を回避するためでもある)。
    • ようするにブルーシート会合は、「いはゆる OFF 会」と違って「参加者全員に画一的な体験や連帯、一体感を提供しない」ということだ。個々人に相当の自由度を与える(というか制約しない)ため、体験は同じにならない。参加する時間や形態、心境や臨む態度もかなり違ってくるし、それを突き詰めあうことが要求されないし、できなくなる。ただまあ、「いはゆる OFF 会」のもたらす(ことを期待されている)連帯や一体感が幻想に過ぎないことも、いまでは多くの OFF 会参加者たちが知っているはずなので、フラットな心境では「どっちも一緒じゃん」といえはする。
  • 欲望のレベル「見たい」「聞きたい」「喋りたい」「語りたい」
    • ひとが「誰かと会ってみたいかな」と思うようなとき、その欲望は四つに分類できると思う。つまり「見たい」「聞きたい」「喋りたい」「語りたい」だ。
    • そのうち「語りたい」というのは、他人が割り込みできない場で主張をダラ流しすればよいので、原理的にリアルタイムでいつでも他人の割り込みを許可する(せざるをえない)OFF 会には向いていない。主張をネットに書くか講演会を開くかするのが適当。
    • 残り三つのうち「喋りたい」くらいまで意欲があれば、それは OFF 会に行けという話になるが、前者二つが問題で、つまり「見たい」「聞きたい」レベルの欲望の充足って結構始末に困るということだ。「野球好きだけどあんま詳しくないし、詳しいひとの話聞くのはおもしろいんだけど、もし自分に話振られてもうまく受け答えできる自信ないし、ちょっと気が引けるかなあ…」みたいな。
      • 「見たいだけ」とかになると、ほとんどウォッチャーレベルの軽度な欲望といえてしまい、であるがゆえに有効な解消法がないということになる。
      • ブルーシート会合の有効性のひとつに、まさにこの「見たい」「聞きたい」程度での参加に何の問題もない点とかもあるのだが(当然同じ時間相手からの視線にも晒されるわけだが、好きなだけ「見るだけ」を実行できる)以下略。
    • おれの場合、OFF 会の規模にあわせてこの種の欲望を切り替えて対処するようにしている。つまり、サシ OFF 〜 小規模の OFF 会ではわりあい喋り、中規模の OFF 会では聞くと喋るの使い分け、大規模 OFF ではほとんどの時間を「見る」と「聞く」にとどめる。サシでしか会ったことがないひとはおれを饒舌だと思うかもしれないし、大規模 OFF ですれ違っただけのひとはおれを無口だと思うかもしれないが、どっちも同じおれであって同一性に問題はない。ようするに人見知り&引っ込み自アン&仲間内では饒舌なオタの典型ということだが、このへんの「今日はどういうモードで過ごすべき日か」の見切りというか、態度の使い分けというのが、ようするに OFF 会における処世術、ある種のリテラシということだと思っている(OFF 会は自己責任で参加する場であるから楽しめなければ無意味だが、しかしある種の「やり過ごし」への意識がなければ、長い目で見てうまくいかないと思っている)。という筋合いからいうと、欲望のレベルによって参加したい OFF 会の規模を選択する、というのは有効だ…、が、しかしもうちょっとこの枠は崩されてよいと思っている。つまり、「OFF 会リテラシが必要な状況」はたぶん絶対になくならないが、しかしそれが要求されるべき機会は少なければ少ないほど良いのだ。どういう態度のどういうひとが来てもそれなりの位置に自動的に収まるようになるのに越したことはなく、べつに今日はどんな態度でもいいですよ的な(つまりある程度振る舞いバリエーションを担保している)参加者が自動的にマージンとして機能してゆくようになればいい。のだ。が。空気操作者や空気を一旦破壊してでも場の流れに責任を負うような立場者が不在の、筋合いの悪い OFF 会では、各人個別状況下での処世に恋々として「それぞれには悪くないんだけど全体的にぎこちない」というような状況はどうしても起きてしまうのだった。ブルーシート!だれぞブルーシートをもて!ブルーシートをこれへ!
  • ネットコミュニティの性質とイベント規模話
    • 今回のイベントは参加者 30 人弱、スタッフ込みで 35 人程度。これって大きい小さい?→おれの感覚では「小さいイベントとしては大きく、大きなイベントとしては小さい」かな。
    • このてのイベントは「単なるお客さん」の比率が極端に低い→「おれにも喋らせろ」的な参加意識が高い
    • 「人文系は討論会、テキスト系は講演会」
    • 「観客が少ないから人文系はショボい」「プレイヤが少ないからテキスト系は物足りない」というかんじになるか?
    • なんかとにかくオレオレなかんじのひとの場合「おれ対群集」という構図を望みたいだろうから、人文系的な中小の粒の群体というような構図には入り込みづらいだろうね(自己承認要求が高いひとは「聞いてくれるだけの多数」の居る環境のほうが望ましいので、昨今の流動的なネット状況では権益を損ねない位置取りがむずかしかろう)的な話。

で、この筋合いでいうと、講演会と討論会というようなはっきりとした区別でなく、設定としては曖昧で、集まった面子の気分によって毎度いい具合にレベル調整して進行できるような OFF 会というか、イベント的なものができれば「見たい」「聞きたい」「喋りたい」「語りたい」のうち、すくなくとも他者と合意できる範囲での欲望の受け皿にはできるんじゃないか的な。

  • 「いはゆる OFF 会」以降
    • 今年のログをふりかえってみて、かなり OFF 会参加してるなーというのが実感だ。もともとこの日記者の名義で OFF 会に参加するような事態など想定していなかった(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050315#p1)くらいなのにもかかわらずだ。
    • なぜ機会が多いかというと、たぶん「人口過密の東京に住んでいる(東京ディバイド!)」「ネットが多様化したのでコミュニティの接点にバリエーションが増え、持っているペルソナ毎にいろいろな OFF 会機会が出来、でもおれの実体はひとつなので、実体ベースでの OFF 会密度が上がった」「キーワードでつながるおもしろブログであるはてな村に点在するコミュニティのいくつかと接点ができた」あたりで、そしてなぜたくさん参加できたかというと、それらの OFF 会が、数年前の認識よりも安上がりだからだ。じっさい「OFF 会って安いんだ!」てのはある意味衝撃だった。一昨年くらいの認識では、なんのかんのでやはり一回 5,000 円とかかかるような気分だったけど。そうかべつに飲み屋とか行かなくたって喫茶店でコーヒー一杯で粘ってもいいんだよな的な。喫茶店ならアルコールハラスメントとかとも無縁だし、酔っ払ったほうがおもしろい吹き上がりも見れる面も確かにあるんだけど、べつに酒など飲まずても普段から頭のおかしいひとだって居るということがわかって、それもあまり問題なくなった。
    • 参加機会が多かったため一回毎にかける期待値も低く抑えられ、その結果経験値が溜まり、リテラシが鍛えられるというような面もあったかと思う。結局空気操作者とかにはなれないわけだが、べつになりたいと思ったことはないし、これは経験よりも素質や性格の問題だろう。とりあえずおれのような OFF 会初心者は、数を絞って一発勝負をするより、安い OFF 会にたくさん行って場数をこなすほうがいいのかもしれない。