matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

ドルチェ――優しく(Dolce)

ドルチェ―優しく

だんだんわかってきた。チャンネルが合ってくると、怖いなーと思う。怖いのはわからないからで、さらにチャンネルが合ってくると、わからなさを越えて近付いてくるので、怖くはなくなる。ソクーロフ氏の名前を知ったのは「エルミタージュ幻想」が最初で、「D の食卓」くらいしか連想しない無邪気なオタだったが、こうやって「死の棘」つながりでソクーロフ氏の名前に再会してみると、オタ趣味というものは、なにがどうつながっていくかわからないものだなあと思う。それにしてもふしぎな映像だ。へんな汗が出る。画面に映っているこのひとがあの島尾ミホ氏本人かと思うと、なにかそれだけで画面の向こう側に侵しがたい空気を感じる。おばあさんなのになんかエロい。それは生きている人間には必ず備わっているが、普段そこまで人間を注意深く観察することがない。ソクーロフ氏の視点。かなり真面目に見ているつもりなのだが、どうしてもミホさんの話をつながった一本の流れとして聞き取ることができない。前後 15 秒前後でどんどん記憶からこぼれていくかんじ。なにを言っているのかは重要でないかもしれない。本当は重要かもしれないが、おれはとりあえずそこまでは見なくてもいい。

Google で適当に検索。

あまり関係ないが、子供の頃親戚の家に遊びに行った日のことなど思い出したりもした。娯楽がなく、出歩くわけにもいかず、一階と二階の中間の踊り場に座って、足をブラブラさせながら、そこから垣間見える家のあちこちに、親戚たちの談笑するようすなどを見ていた。すべて他人事のようで、まあ実際に他人事だったが、おれと家の中の彼らのあいだのどこまでがこちら側で、どこからが向こう側なのかとかそういうことを考えていたような気がする。たぶんそれはアーノルド・ローベル「ふくろうくん」を読んでもらった影響だったろう。ときどき同年代の親戚の子がじゃれてきて、そのときだけスケール感が戻ってきた。おれは笑っていて、彼らは無邪気だったが、それだけのことだった。だけどもあれはあれで幸せだったのだろうといまなら言える。

あとこないだ K さんが公開したネットラジオ(?)を合わせて聴くと、なんかいいかんじに混じってきておもしろかった。