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2005 年にはじめて遊ぶおれに MOTHER は十分でなかったか

十分でなかったと思うが(←もし MOTHER が十分だというなら、それは「この 15 年間世の RPG 開発者はなにも開発してこなかったんだと思う」のと同じ意味だ!)、それよりは「MOTHER にある 1989 年向けの新しさ」のほうが、2005 年にはじめて MOTHER を遊ぶおれにとっては気になったことではないかと思う。時代によってひとの感じ方や求めるものの前提は変質するから、ROM カートリッジに固着された意味や意義も不変ではいられない。でまあそんなわけで、むかしの MOTHER をベタ移植したのであろう GBA 版 MOTHER は、おれにとって新しくも古くもなく、なにと戦った結果なのかなんとなくわかるようなわからないような、いまではピンとこなくなったユニークさがたくさん盛り込まれてある意欲的なゲームとして映ることになった。ほんとはこれもっといちいちピンときたはずだと思うんだよな今が 2005 年でなく 1989 年だったら。もっと順序立てて当時までの RPG ジャンルの文脈を押さえつつ遊んでたらよかったのだろうなとは思う。

あとすごい話飛ぶけど、MOTHER 作ったのが糸井重里氏じゃなくていとうせいこう氏だったなら、おれはまじめに遊んだだろうかな。その仮定では、MOTHER が「ノーライフキング」になり、ノーライフキングが MOTHER になるかもしれない。それがなにを意味するのかわからない。ただひとついえるのは、「モジブリボン」は楽しめたということだ。あれはドラクエや MOTHER などと違い、ボタン押さずに放置していれば自動的に死ぬゲームのひとつではあったけど。

あと蛇足しておくと、MOTHER には当時小説版も出ており、読んだ覚えがある。赤いカバーの文庫で、新潮社だったような。ただしノベライズは糸井氏でなく、久美沙織氏が担当していた。いま検索してみたら、GBAMOTHER 1+2 リリースに伴って復刊もされたようだ(http://plusd.itmedia.co.jp/games/gsnews/0306/23/news04.html)。