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オタ宴会

OFF 会というかなんというか。昨日の宴会ログ覚え書き。主に音速の壁やサイト運営の話だったような…。

  • オタブロガー音速の壁問題@子孫残せる残せない
    • 子孫残せる組
      • ゲノムついでにミームも残すぜ組(ソーシャルバランサー派)
      • ゲノムで満足しちゃったのでミームは適当組(あんしんパパ派)
      • ゲノム残して安心している「わたし」の中に、ミームをぶちまけろと叫ぶ「オレ」が居るぜ組(わたしの中にオレが還ってくる派)
    • 子孫残せない組
      • ゲノムがだめならせめてミームを残したい組(ミームいろいろ夢の旅派)
      • ゲノムがだめならせめてミームを残したかったけどそれもだめそうっていうか、最近自分でもよくわかんなくなってきた組(末期現象派)
      • ゲノムやミームを線で追っていっても途絶えるだけだし、そのうえで大きな流れは安泰だし、それは普遍的なことなんだから大丈夫じゃないけど問題ないよ組(諸行無常派)
  • オタブロガー音速の壁問題@オタである自分
    • 「おれは一生アニメも漫画もゲームも音楽も好きで、云々」という十代二十代の幻想。あらかじめ、終焉とはいわないが、衰退のことは視野に入れて備えておかなければ無防備の三十代以降を送ることになる。気力・体力は衰える。自分に対する無根拠な信頼の危険。メンテナンス・補修も楽しみのひとつ、くらいのつもりで暮らしたほうがよい。
    • 言語化による縛り(誓約と制約)問題
      • 「自分は○○である」という言語化によって殻を作る。殻は内面を保護するが、同時に束縛する。(黄昏を予感しての)あせりから言語化してしまうのは不健康。殻は、そのようなゲームデザインとして扱うほうがよい。言動の意味を把握し、自由度を常に確保しておく意識。迂闊な言語化によって「おれは一生アニメも漫画もゲームも音楽も好きで、云々」に後年自縛されるというのは不幸の自給自足。わざわざそんなものを供給する必要はない。
    • 言語ベースと肉体ベース
      • 「言語の連なりが自己である」という錯覚がそのようなドツボを形成する。「言語は、肉体の連続性からその場その場で発散される」と考えれば同じ状態でもドツボにならない。ようするに「永遠とはなにか」問題。言語ベースからみれば肉体ベースは「そんなのは行き当たりばったりで無責任だ」と批判できる。逆に肉体ベースでいえば「そういうおまえはおれに依拠している」となるわけだ。あたまとからだの闘争。おれの場合は自覚的自己のことを「脳内参議院」と呼んでいる。
      • あと、おれが熱狂的 Kanon オタのひとによる(公式掲示板での)発言「沢渡真琴は我が命、我が全て!!永遠の愛を誓う漢・狗法使い、ここにあり!!!!」のことを大好きなのは、それが比類なく強烈な自縛台詞だからだ。全身の皮膚を一瞬で脱ぎ去り襲い来る大気という名の激痛!特撮オタの原理に照らせば、若さとは振り向かないことであり愛とはためらわないことであるから、この狗法使い氏は若くて愛なのである。そこで振り向けとかためらえなどとおれはいえない。
      • で、この「沢渡真琴は我が命、我が全て!!永遠の愛を誓う漢・狗法使い、ここにあり!!!!」の場合で考えるとわかりやすい。こう発言した以上、狗法使い氏は今後とも沢渡真琴が命でありすべてであり続けなければならない、というのが言語ベースでの首尾一貫。この場合「永遠」というのは時間的無限とほぼ同義。そして肉体ベースの首尾一貫でいうと、現在仮に狗法使い氏の愛やすべてが沢渡真琴でなくなっていたとしてもそれはそういうものであり問題ないとなる。この場合の「永遠」というのは時間ではなく、自己を監視する常駐タスクに回すリソースが不足するほど感情が一極に集中した刹那、一瞬、感覚時間帯、つまり、忘我の体験のことだ。
      • 言語ベースの首尾一貫というのは、殊に web 日記以降のオタにとって、自殺にまで高まる強力な自己目的化回路となった。美醜でいえば美しいとしかいいえない。ただしみっともないともいえる。再び特撮オタの原理に照らせば、若さとはあきらめないことであり、愛とは悔やまないことでもあるのだ。肉体ベースの首尾一貫への着地点を、この若さと愛と向き合いながら探すのにはコツがいる。コツをみつけられないまま音速の壁と向き合うことになったとき、オタは自ら築き上げ(てしまっ)た鋼鉄帝国の瓦解を体験することになる。べつに砕け散ることはない。穏やかに日常化していけばよいのだ。まあそういった瓦解によってもパッションは生まれるのだろうから、愚かなことだとは思わないけど。
  • オタサイト運営のコツ
    • サイト・サイトポリシー・管理者の三角関係とかなんとか。サイトポリシーをあらかじめ決めておけば、サイトを運営する際にいろいろ出てくる面倒事とか判断に迷うようなこととかを未然に潰せるのでサイトポリシー有効、かつそれを世情にあわせて適宜更新し続けることが重要(でないとなにかあるたびに個別対応とか例外処理だらけになって無駄にカロリー使う)。仮にサイトを雑誌に例えるとして、サイトはまあ雑誌自体、では管理者はなにかというと編集長と思いがちだがそうではなく、その役目(編集長)はサイトポリシーに任せて、管理者はライターに徹したほうがラク、みたいな話。
      • そこからしばらく「はてなダイアリにはライター文化っぽい日記が多いかもね」みたいな話に。
    • おれの場合の話でいうと、サイトやサイトポリシーのほうがおれより強くなりそうになったら、適当に崩すことでバランスを取ることにしている。にっぽんじんにはブログより日記みたいな。サイトはサイトでなんかやりたいような、やりたくないようなところがいまだにあるんだけど。