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におわせ系日記の問題点

対象を曖昧にしたり、目的を曖昧にしたり、手段を曖昧にしたり、引用元を明記しなかったり、まあともかく全体的にぼかして書く web 日記のことを、世間ではどう言ってるのか知らないがおれは「におわせ系日記」と呼ぶことにしている。これと似た日記として、ぼかさずに書いてしまうと不利益に直結してしまうなどの理由で、ぼかすというかむしろ伏せるかんじの「伏せ字系日記」というのもあるが、これは様式こそ似ているものの書き手の意識の質というか温度というかまあそういったものは匂わせ系日記のそれとは全然別物と思われるので、そこをごっちゃにしてはならない。

そのにおわせ系日記の問題点についてTと話した。おれの場合におわせ系日記の問題点は、

  • ぼかして書くのは抑圧だし、さらにまたその抑圧があってでも書きたい動機付けがあるはずで、ということは、これは自分から未消化を作り出し継続してしまうことになり、余計な鬱屈を加速させる気がする。割り切るつもりのない割り算みたいなかんじ。
  • におわすだけで正体を現すことがない文章の雰囲気は、それを読んだひとにも感染する。
  • 人間の記憶は信用できない。おれは人間なので、ということはおれの記憶は信用ならない。一方で日記は、脳内データマイニングのための有力なきっかけや釣り針や引き金や手がかりになってくれる。つまりおれは日記を書くことによって自分が過去に踏襲していたプロセスやその時点での結論(誤り)を辿り当てることができ、それらと現状とを照らし合わせることで自分が過去からどう変容してきて、そしてこれからさらにどうなってゆくのかを予測することができる(←まあ先読みまではむずかしかろうけども、単に対比して愉しみつつ布団の中でもがき苦しむだけでじゅうぶんやったぶんだけの価値がある)。はず。なのだが、その肝心の日記をにおわせ系で書いてしまっていると、マイニング成功確率がかなり低くなってしまう気がする。自分で書いたことでもしばらく経ったあとで読み返してみたらなんのことだったのかさっぱりわからなかったとかよくある話。

あたりかなーと思っている。