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オタクと OFF 会

OFF 会、殊にいはゆる「突発 OFF」は、参加している全員が自己中心的なスタンスで参加している(ことを前提とする場である)ところにおもしろさがある。全員が「自分にとってきもちのいいように」行動する。主催者にしてからがそう。会が終わった時点で「自分自身が」おもしろかったなあと感じることができなければ、参加する意義がなかったということになる、と、OFF 会参加者はごく自然に感じているというか、そういう仕組みの場なのでそういうふうに誘導される自分の思考を楽しんでいる雰囲気がある。

こういった場は、オタ社会ではありそうでなかなかない。根本的に殺伐とできないところがオタの関係性の長所で短所というか、殺伐さえも解体してしまう性質があるのでそれが無理みたいな。煽り合っても荒らしまくっても「場」に対する信頼(←あまり適切な用語じゃないかも)みたいなものが常にあるというか、そういった理解というか納得みたいな仕方を自動的にしてしまう。なぜなら感情を移入したり自己を投射したりとか、一面で外部と内部をはっきりわけながらもほかの面では切り分けることがオタは苦手だし、得意だから。

オタ以外の社会ではどうかといえば、たぶんそういう場は(すくなくともオタ社会よりは)あると思う。学生イベントとかたぶんそんなかんじ。行ったことないからよく知らないけども出会い系のイベントとかも似た雰囲気がありそう(二昔前でいえば「ねるとん」ってやつですクワー)。自分が楽しむために自分にとっての特別ななにかをみつけられるかどうか、それをするための努力、それを楽しんで、結果的にうまくいったらハッピーでできなかったら残念また今度、というようなはっきりとした場。「誰に向けてやってんのかよくわからない曖昧な努力(「場」に対するサービス)」の個々人の負担が小さく、しかし明快な個々の努力によって熱量の総体は大きく、そして快楽享受の個人差が大きい。

オタからみれば一見自閉的であるようにも感じられ、しかしオタ社会よりよっぽど個人を尊重するシステムにも思える。…というか、あー、このへんオタ←→非オタっていう分け方だと話が雑になって苦しいかんじはする。田舎←→都会の話に脱線してるような。農耕←→狩猟でもあるような。狩猟文化の浸透度とか、国内に人口密度とか情報密度とかなんとかで偏差があって、結果的にいろんな角度から分析可能な問題かもしれず。まあともあれ、主催者やほかの参加者たちの自己中心的なふるまいと、自分の自己中心的なふるまいの利害関係が一致する限り OFF 会は楽しく、利害関係を読み間違ってしまった場合その OFF 会は楽しいものではなくなる。

おれの場合、人間関係で立ち入ったところまで突っ込んで楽しさや楽しくなさを享受するところまでまだ神経が細密化していないので、「そういう場」に参加していろんな立ち位置やそこに立脚しているのであろう各人の振る舞いを眺めているだけでけっこう楽しかったりもする(それこそ「文学フリマ」に、特に文学に造詣があるわけでもないのに立ち寄ってみてそこで行われている雑談を聞き流すだけで満足してしまえる程度にしか人間関係問題に対する感受解像度がない)、が、そうでない、それなりに一人称視点での快楽をきちんと消化している立場で何度も OFF 会を経験しているひとの心情っていうようなものは、どんなものなんだろうかなーと、そこいらへんの話をいずれ誰かに聞いてみたい気分がある。

というようなことを考えつつ、先日行われたという「blog of the Yeah!」(http://yeah.myblog.jp/)パーティーの紹介記事(http://artifact-jp.com/mt/archives/200312/blogoftheyeah.html)などを読んだ。web で投票したひとにはイベントの参加募集メールが送られてきていて、おれも投票したので(←自アン民なのでアンケート系の CGI のボタンを押すのに抵抗がない)メール届いてたんだけど、行かなかった。その参加募集メール文面にある、なんかこの「楽しみたい主催者」的オーラの裏表のなさというか、そういった肉食民族ちっくなポジティブさがまぶしすぎてやべーなみたいな部分がすごくおもしろかったというか。オタの発想から出てくる文章じゃないよなみたいな。

そういう部分で考えてたらふと、そういえば日本で個人 web サイトっていうと、勃興からこれまでの流れで管理者が「なにかしらのオタク」っていうような部分でキャラクタを演出しておかないと存在意義が主張しづらいみたいな空気があって、それに対して「べつになんのオタクでもないおれが個人ページをやるんだよ」みたいな部分での、一種のカオを与えるというような側面が、いろんなポータルとかコミュニティにはあって、最近出てきた BLOG ツールとかもそこいらへんの受け皿として働いてる部分があるのかもなーと思った。「平家に非ずんば人にあらず、オタに非ざれば…きみはなぜそんなことしてるの?」、みたいな部分で意義と動機を補助するツール。オタとして安心してる立場からはそう見えるみたいな話。

自アンのテンプレで「なぜオタは○○ですか?」っていうのがあるけどもあれとか象徴的。オタはいろんな「なぜ?」に対して多く「○○だから」を持ちあわせるというか、答えをあらかじめ用意しておくのが好きだ(から「なぜオタ」箱は多くのバリエーションを産んだし、たくさんの項や票が作られた)が、オタじゃない場合そういった「なぜ」に対する答えが多岐にわたらず、または「…いやそんなこと言われても」になってしまうというか。そのあたりで「「なぜ?」っていうような質問をあらかじめ封じる仕組みというか看板みたいなもの」の効果があるんじゃないかなみたいな。あーしかしこういう対策的な発想はオタのものだからちがうか。