matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

E の食卓

エルミタージュ幻想」を買うためにあちこちDVD屋を回ったがどこも売り切れ。すざけんな買わせろよおれに。
せっかくのDVDを買う気分がだいなしになるのはよくねえなと思ったのでニューリリースの棚から「リベリオン」を手にとってみたが、…やめた。どうせ誰かが持ってんだよ借りて見るよリベリオンはべつに。ジャンク的に鋭いが致命的なほどではないのだ。どうするかな実際、Sさんに借りるというてもあるんだよなあ実際。今日買えなかったのは痛い。

ところでエルミタージュ幻想飯野賢治氏とか好きそうだよなー、とかゲーオタがいうとなんか政治的なニュアンスが自動的に含まれてしまうような気がしていやだが、しかし、実際そう思った。というか D 食当時とかあのへんの空気の先の先で完成してるひとつのかたちがエルミタージュじゃないのかみたいなっていうか。まあ色々違うんだけど同じ感触で通じちゃう部分ってなにかありそうなかんじもするだろと思うわけです。

おれの場合 3DO で一応 D の食卓やってみたんだけど結局プレイ中一フレームたりともあれをおもしろいと感じられたことがなく、でも当時親交のあった映画オタの O くんなどはかなり気に入っていたし、O くんに感じられておれには全然ひっかからないこのゲームの魅力というのがなにかあるのかー?と何度か自分で遊んだりひとが遊んでるのを観察したりしていたんだが、結局あれはたぶん本来到達すべきラインまで全然達していないのでその先までを見通せる(=その空気や D 食が本来やりたかったようなことを妄想し共感できる)ひとにしか響かないのかなあー、と思って以降懸念するのをやめた。ようするに時期が悪かったんだろうというか、いい時期だったというかんじというか、まあそんな、半端さとか、不十分さを愛せる余地のある時代だったのだあの頃というのは。

ああなんかすごい脱線した。ともかくああしたおれの中で同系統に分類されているあのへんのものは、一線を突破しなければ享受する快楽として足りないと思っていて、たとえば D 食は歯牙にかからず(だから目の付けどころがどうだったかとかそういう問題をおれは D 食に関して検証しない)、MYST はなんかいまひとつ興が乗らず、RIVEN はけっこうズギューンなかんじで、エルミタージュはおいしいレベルに達してるかんじがするんだよな。ああいうのを楽しいとかんじる脳はけっこう誰にでもあると思う、複雑なことやってるけども結局単純な「どうよこういうのふしぎにおもしれーっしょ」みたいな発想からはじまっていて、そこんところに正直なかんじがするから。まあむずかしくも説明できるのかもしれないが、そういう言語を持ってる必要は全然ないと思う、それはそれこそ、そういう趣味だ。

D 食とエルミタージュだけならともかく MYST とか RIVEN とか言い出したらますますエルミタージュが浮いてしまうかんじがするけど、まあその違いますけど、違うところじゃなくて同じところの問題の話というかそういうかんじ。あとエルミタージュは映画だからインタラクティブじゃないけども、それゆえにインタラクティブとはなんぞやみたいな部分をこういった毛色に近いジャンルのゲーム方面に向けて、いろいろ考えてみるきっかけにもなるような気が、するなあと思う。