matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

ガンダムの私生児たち

なんだかとりとめなくメモ類をひとまとめに。
-
「ファースト世代からのガンダムSEED擁護論」(http://www.udauda.net/~geldolva/docs/gundamseedadvocate.htm)というページを読みながら、これはひょっとして「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」みたいなやりかただったら大正解だったみたいな話なのかなあと思ったっていうか、おれの考えは筋合いが違っていてそれはむしろ「キングゲイナー」でやるべき話なのかもしれない。
-
オトナ帝国みたいなやりかたでおっさんを大肯定するなら「作品側から大きいお友達に肯定的な別れの握手を差し伸べつつ、大きいお友達が勝手にありがとうの涙を流しながらさようならを言う」という状況が、生まれなくもないような気が、する。しかもそれはやっぱりなんというか一時のもので、顧客としてそういったおっさんガンオタ層がガンダム商品から脱していくということは意味しない。このあたりはなんというか、「自分の身近にあったと感じられるような事件などを取りまとめていい話としてFlashなどの形式で作品としてまとめてしまって、とりあえず「感動した」とかなんとか言っといて、HDDなどに保存して、忘れる」っていう方式の快楽と同じような仕組みと考えていいだろう。
大半のオタはもう自分が感動することや「なにか大事な事件の影響を受ける自分」という構図もすでに解体し尽くしていると思うので、感動や影響それ自体の価値は否定しないけどそういうことによってはもう自分自身が変わることはないとわかっているだろうからだ。
とはいえ過去に本気でオタにとどめを刺しにきたようなアニメってのはたぶんないよな。あったとしたら、すごいと思うけど商売人側からはやっちゃいかんことのような気もするし。「逆襲のシャア」とか「オタクのビデオ」とかは、やりかたとしてはわりと近いのかもしれないけど、やはり時代に対する封印にこそなれ、客に対するとどめとしては作っちゃいないだろうと思う。矛先が逆な気がするのだ。もちろんそれが普通だ。
-
こういうのはガンダムが抱え込んだ無理難題とも言えるだろう。たとえば「おっさんも子供も楽しめる」っていう方法論ならアニメでいえば宮崎駿氏などが現在でも実証していることであるし、原恵一氏の手になるクレしん映画もそういった解のひとつだと思うけど(クレしん映画が果たして子供に楽しめるのかどうかおれにはわかってないので、そういう意味でここで原恵一氏を例に挙げるのはおれの誤解なのかもしれない)、ガンダムSEEDの場合は「おっさんと中高生が同時に楽しめる」っていう方法論こそが至上の正解であったのかもしれない、という話だからだ。
もちろんおれは、この難題は客側に一方的に存在している夢想であるのに違いないと信じる。そんな無茶な大看板をガンダムに関してぶち上げてみせるような制作者が居たとすれば、よっぽどのきちがいか、でなければ富野氏と同等以上の格だ。
おっさんと中高生が同時に楽しめる作品なんてのは、それは一体どういうものか。
∀ガンダムで富野氏は「すべてのガンダムを肯定します」と言った。おれはそのコメントを読んで、富野氏がアニメという土俵でそういう正解を出そうと挑戦しているのに違いないと思った。その片鱗は見ることができたようにも思う。そして「キングゲイナー」はガンオタに向けたオトナ帝国なのか?だとするならキングゲイナーはオトナ帝国同様に、大人以外には実はそんなに楽しんでないのかも、という懸念を抱えているのだろうか(そのへんのことはどちらに関してもよくわからないので、曖昧)。とりあえず追っかけてみないと、なんともいえない。
-
ファミスタとかダビスタみたいな、(当時勢いのあった)ゲームでなら、中高生もおっさんも遊んでるという状況はまだありえたと思うけど、2003年、今、アニメで、どうなのかなあ。
-
同人誌とかで「嵐を呼ぶモーレツ!ジオン公国の逆襲」とか、誰かが作ってくれたら、ひとつの答えは出せるのかもしれないな。つまり、それで案外いい具合なのか、それじゃ全然ダメでやっぱり別の正解が必要なのか、どちらか。
…というか、結局のところ嵐を呼ぶモーレツ!ジオン公国の逆襲というのは、逆襲のシャアのことなんだけど、あの時点でシャアとかアムロとかが偉大すぎたせいなのか、ララァの電波が強すぎたのか、ハサウェイやクェスがへぼすぎたせいなのか、チェーンが事情を知らなすぎたせいなのか、若いひとの刹那的な突っ走りはそれ自体結局お話を主導することがなく。むー。単に若くあろうとする人間が、自分の後続を認めることはむずかしいってはなしならわかりやすいんだけども。
なんつーか、ヒロシが「νガンダムは伊達じゃない!」とか言ってエレベータにかじりついて、結局そのままエレベータぶっこわしてイェスタデイワンスモアの野望を阻止しちゃいました、みたいなオトナ帝国っつーか。そりゃましんのすけがアレしちゃったからサイコフレームがどうのこうの、とかいうくだりはあったにせよ、結局おいしいとこはアムロとシャアががっぽりいただいちゃうわけで(そのぶんしょーもなさもさらけ出してしまうわけだけども)。
あの時点でああするのはおれは正解だったんだろうなあと思うけども、でもまああれ見たガンオタは「あーんじゃ当分このままやっててOKなんだね」と思うのが自然だとも思うわけで。
-
おれは、結局自分にとどめを刺しにきてくれるような親切な存在は自分だけだと思っているので、それはそれでいいし、そうならやっぱり自分のオトナ帝国は自分で作らなければならないんだろうなと思う。キングゲイナーでとどめが刺せるなら、ガンオタはじめてガンオタつづけて富野監督にとどめまで刺してもらえるってことだから、これ以上至れり尽くせりな状況ってのは滅多にないので、キングゲイナーの最終回でエクソダスできるようなおっさんオタがもし居たとすれば、そのひとは現存するアニオタの中でも最も幸せなオタの中の一人だろう。
そしてもちろん、一度死んだやつは、もう二度と死なないのだ。