matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

キャラクタ作成の順番とかで再考

いやちがうな。順番が逆だ。さっきの PPG の話題。PPG の主役はどう考えてもガールズであって博士じゃない。アメリカアニメは中途半端なことをしない、なにかをやる場合には徹底的にやる。とすれば PPG はいかに魅力的なスーパーヒロイン像をぶちあげるかっていう部分から組み立てられ、しかもその方式を完全に遂行したと考えるほうが自然だ。

こっちを作ってあっちを作り、あっちが立たないのでこっちをちょっと壊し、などという行ったり来たりの(日本の場合はこういうやりかたがわりと多いと思うけど)方法ではこうまでシャープな(逆にいうと物語世界自体が産みえる雑多なノイズのおもしろみは含まない)作品は生まれないだろう。するどい物事は、どんなに境目の見極めや切り分けが困難であろうとそこに絶対的な順番を持つ。思考の順番であり設定の順番だ。その最上位はガールズ、間違いない。まずガールズといういびつでかっこいい不動の主役を作り上げ、それからその型がバッチリ収まるような環境や世界のピースを設定していったと見たほうがいい。

ユートニウム博士はピースだ。ガールズにバッチリはまるピースで、ガールズあっての博士であって博士あってのガールズではない。もちろんだからといって彼のキャラクタが死んでいるとか虚像とかいうことはない、ガールズとバッチリ合致してかつ個性を発揮するようでなければ彼が作られようはずもない。だからたとえば「独身男と三人娘」像はきっかけではなく結果として選択されたものと考えることができる。さっき例に挙げた「白詰草話」とはそのありようが全く違う。

本当に結果的に同じ様式になっているだけでその内部に働いたロジックは全然違うものであったはずだと思う。おれは白詰草話を PPG とは逆の「設定や思考の筋道を行ったり来たりして作ったお話」だと思うから。世界と人物とがそれぞれに動かせない部分を持ちながら各個できあがり、それをひとつのお話に収めるために試行錯誤したであろう箇所が、どことはいえないがなんとなく垣間見える。魅力の比重が分散しているかんじ。もちろんそれはそれが理由でつまらないってことではなく単にそういうふうなお話っていうことなんだけど。