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pdfと昨日のロリとだめなおれ

まったく意味のある話ではないがGoogleで「あああ」とか「ぞぞぞ」とか「かかか」とか、なにげなく同じ文字の羅列で検索するとpdfのヒット率が高めになる法則があるような気がする。サーチロボットの、なんとなーくわかるようでもあり、よくわからなくもある仕組み。

そうやってネットにころがってるpdfファイルにはどんなのがあるんかいなとか(ほんと適当に)眺めてみるのもおもしろい。一応ファイル形式の特性上、めんどくさいひとはプリントアウトしてまとめて読んだり配ったりしてねという用途が主になるからその作成者は企業とか地方自治体とかなんとかほとんどが個人以外ということになるのかな。

ねらい目は、たとえばたかつき教育だより 平成14年(2002年)7月10日号(http://www.city.takatsuki.osaka.jp/new2001/kyoiku/images/kyoiku0207104.pdf)とかここいらへん。Today'sロリShot、というわけではないが。半年前だし。

ガキ共がすこやかにがんばっとる様子などが泥臭いかんじでなごやかに紹介されとる記事とかを読むと活力になるね、あーちくしょう日本もまだまだ捨てたもんじゃあねえんだからいっちょおいらもまじめに税金払ってちっとはましな国になってもらわんと、みたいな。

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おれはだめだったがおまえらはがんばれみたいな。いやだめってことはないか、いやいやだめってことはないなんていうあまっちょろいきれいごとのみじめさは十分にわかっているんだからいまさら取り繕ったってしょうがねえしみたいな。というよりも現実のこの残酷さはまさに「だめってことはない」という解釈がそれなりのテンションで優れて正しく死ぬまで肯定的かつ徹底的なかたちで保留されてしまう点にあるともいえるわけだから、これっていうのはほんとにとても非常に実際にはシビアであり、おれにとってのリアルな問題でもあるんだけど。

つまるところあれだ、仏教的だ。さすがインド人の発想はいかしてる。ブッダっていうのはひとの生き様に関する約25世紀前に生まれて死んだスゲエハカーだったっていうことだ。こえられない。お釈迦さまの手のひらっていうのはひろいんだなと思う。

たとえ話とかで半死半生で薄く引き延ばされた人生なんていうけども「だめってことはない」の時点で長大にうすく引き伸ばされ始めているおれの人生を感じちゃうわけよね。ないよりゃもちろんあったほうがいいっていう理屈であまりにあっさりと正当化されてしまうかなしさと、そんなのは正しくて当然じゃあないかという十分に納得のいく理屈。

とかなんとか書き連ねてみると案外思春期っぽい文章なども、いまだに書けてしまうんだなあ。