matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

ASSASSIN’S CREED 2

一応クリアした。朦朧と寝落ちしつつ断続的に起きてる時間にプレイしてスタッフロール見たので、ある意味とてもリアルなゲームプレイだった。記憶の断片を辿る。まあ満足した、おもしろかった、だがやっぱり万遍なく眠いゲームプレイになった。

  • 印章結構集めたんだけど、集めた印章を戻しに行く場所を勘違いして(市街の西側にある意味ありげな大扉かと思っていた…)、伝説装備は全然揃えてなかった。まあ別に関係ない。
  • フリーランは探り探り行くかんじが楽しいけど、競争ミッションの楽しくなさは異常だ。ガイドじゃなくて矢印出せよもー。UBI 社はクレイジータクシーも知らんのか。
  • 移動アナログだけど地形起点アクション方向は当然固定の、柱移動は実質的に四方向だったりするから、おいおいここの段差引っ掛かるのかよ的なストレスの逃げ場がない。まあよく調整はしてあるんだけども。エッツィオさんもうちょっとアクロバット超人ぽくても誰も「リアルじゃない」とか言わんと思うよ。
  • 街中邪魔キャラが、前作の物乞い&狂人から吟遊詩人に変更されていて、ウザさがかなり減ってるのは良。擦り寄ってきて演奏したりするけど、捕まったり上に逃げようとして石投げられたりはしない。「あ、遮られたな」というレベルに収まっている。これで充分だよな。
  • 結局戦闘デザインが前作(どんだけ多人数になっても結局 1v1 のチャンバラ)から進歩していないのは残念ではありつつ、まあ「UBI 社のひとは日本の時代劇を超リスペクトしすぎているんだろう」と納得することにしている。

就職活動で苦しんでいる若者が「希望を持てない」と悩んでいたのが意外だった

文学フリマ後に混ぜてもらった打ち上げで、考えたり喋ったりしたことなど、思い出せる範囲のメモそのいち。就職活動で苦しんでいる若者が「希望を持てない」と悩んでいたのが意外だった関連。

  • 好き勝手&漠然と生きてきたので一般的な感覚がよくわかってないのだが、やっぱ普通は希望って要るのかね。というかこの場合の希望て何。漠然と「がんばってればいつかラクしてトクできる」みたいなものか。そのようなおれの感受性がつまり、希望格差社会において生み出された自意識なのか。おれが新社会人だった頃の場合でいえば、むしろ「希望を持て」とか言われれば当惑したとおもうよ。
  • おれの場合、進路的にまともなほうに行った同年代にはあんま興味がなく、だいたい「ダメなやつとはだいたい友達」路線で生きてきており、もうちょっと突っ込んだら「おれたちってたぶん 30 歳越えたらだんだん生活が立ち行かなくなって、そのあとは食えなくなったやつから順に死ぬよね?」という感覚がずっとある。実際その見立ては、いまのところわりと正しい。ただ、「もしかしたら、このままヨボヨボと(意外に)長生きするっていう可能性もあるかもしれんな」という漠然とした未来への「希望」…というか、むしろ不安といってもいいようなものが見えてもきて、さてどうなったもんかと、おれや(それなりに少なくない)おれの同類が、茫洋とした目でそれぞれの行く先を眺めている、のではないか、という状態。
  • 食えるうちは生き続けて、食えなくなったら死ぬんだよ、それは当たり前で、自分がどちら側に振り分けられるのかはわからん、生き残る側に振り分けられるという「希望」が持てないことを悩む、それを新社会人前後の年齢で、というのは、だからおれのリアリティからすればかなり意外で。ナチュラルボーンライフハッカーとしていえば、とりあえず「死ぬよねー死ぬ死ぬー」とか思っといて、後年「生き残ったわー」とかブランデーくゆらせつつ思い返すほうがラクでハッピーなんじゃないか(死ぬルートに分岐した場合は、死んでるのでシチュエーション考える必要なし)、だってその希望てどこまで辿っても確証には行き着かないので、悩もうが悩むまいが関係ないし。
  • そういうおれの気分って何によって作られたのかナー、オタク趣味のやりこみかなー、就職氷河期とかかなー、世紀末世代的な気分かなー、たぶんそういうものと 90 年代末の「ゲーム業界残酷物語」的な時代嗜好や、あるいは偽悪的・露悪的なインターネットノリは不可分につながっているよね多分。

この話は終わって、流れとしてはもうちょっとつづく。