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最近のアニメ - マクロス F の ZERO 回が良かった

マオジャンプ

良かった。力も入ってたし凝り方もおもしろかった。F の展開としても重大なエピソードだったし、そこに ZERO をうまい具合にかぶせてくるというのは工夫として素晴らしく(大した意味がなかったようなことにも、まるで重大な意味があったかのように感じられることは素晴らしいし、実際に意味があることは、よりドラマティックに見せるべきなのだろう的なアレとかもありつつ)、また、このような展開はマクロスだからこそできていることだったと思うので、まずはそこが良かったと思う。ようするに、あれよ、劇中劇としての各マクロスエピソード、という解釈。

マクロスシリーズの各アニメ作品は、なんかたぶんここの解釈にもいろいろあるんだろうけど、「架空の未来史に基づいて、その後年の人たちが作ったドラマなり映画」という位置づけになっており、特に有名なのは初代マクロスの TV 版と劇場版の違い。TV 版もドラマ作品だし劇場版は映画作品で、「本当のマクロス」というのは描かれていないことになっている。…という過去作を踏まえて、マクロスゼロの映画撮影をマクロス F の劇中で行っているという描写は大変おもしろく、反復による強化として意味が生まれてもくる。もちろん、初代の劇場版を踏まえれば、マクロスゼロにせよプラスにせよ 7 にせよ、「あれも後年に史実に基づいて撮られたドラマなんだろ」と理解するのは容易であり、そして勿論、今放映されているマクロス F にしても同様だ。我々が見ているシェリルやランカは、おそらくは「本当のマクロス史」における当人たちではなく、その後年の、「シェリル役の誰か」であり「ランカ役の誰か」なのだろう、と考えることができるわけだ。その劇中で、マクロスゼロのマオの役を、ランカ(役の誰か)が演じるというかなり面倒くさい劇中劇をやっているわけだ。そりゃ、おもろいよ。CD ドラマ「しあわせのかたち 水晶の滑鼠」みたいなかんじ、か。ゼロのマオとまったく同じモーションでヤシの木を滑り降りてくるランカのカットなど、ファンサービスとしておもしろいし、そのてのメタ妄想材としてオタ脳をブーストさせてくれる。

こういうの、マクロスがこんなに長いこと新作を生み出すほどのシリーズになったからこそ出来ていることで、逆に長いシリーズとしてやっていくうえで色々出てくる設定ブレなどに対応するために編み出された苦肉の策という意味もあるんだろうけど、やー歴史とか厚みみたいなものを、ちゃんと活かしておもしろさに上乗せしてくるっていうのは、こういうふうにやるんだなーと、マクロスに対して(かなり珍しく)ピュアに感心した。おろしろいよマクロス F。

勉強してオタクになった問題関連

話としてはあんまり関係ないけど(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060326#p1)。

  • 考えてみると、「何年くらい勉強すれば一人前のオタクっぽくなるのか」という基準を持ってない。「それは時間ではなくイベント数だ」とかいう言い方もあるので一般性ないんだけど。そういうのって普段意識しないから大概のオタは「必要な時間=自分がオタクとして過ごした時間」と思ってそう。等身大の自分をみつめすぎると、世の中全部を自分基準で見てしまうというシンプルな病気。
  • …てのもまあ言いすぎか。「オタ心つきはじめ〜だいたいあのへんから成長してねーなおれ」らへんの期間か。改めて考えてみるに、おれ自身の場合中学 2 年からオタクになって、たぶん大学 3,4 年くらいまではかかってるかな。でもそのあとまた社会人になってかなり変わってんだよね。でもその変化は、勘定に入れる気分ではない。「オタクになったあとの勉強」というかんじがするからだ。
  • まあ基礎教養 6 年程度は必要、とかは思っているか。そこは間違いない。中学からはじめて現在高校 2 年くらいのひとを、おれはたぶんオタク一人前だとは認識しない。まだイメージファイト三面らへんという認識。
  • とか書いてると基準がきついかんじが自分でもしてきたんだけど、試験とか資格みたいな方向性で厳しいようなことは全然なくて、実際には「なにかに反応するとき、そいつがオタクになっているかどうか」で判断するかんじだ。知識の量はどうでもいいし、判断の正誤も問題じゃない(オタクらしい間違いをするやつは、間違いなくオタクだ)。
  • …てのは結局、おれが身体的には「オタクは趣味じゃない、生き方だ」路線でオタクやってるというかんじになるかなー。頭で考えるぶんに、オタクを趣味でなく自意識問題として語る論調とかにはウゲーとなったりもしてるんだけど。おそらくは「頭で生き方として、身体的には趣味として」オタクを理解するひとのほうが最近は多くて、おれとはちょうど逆のブロックですっぽりハマって強烈な反発力が生じる、みたいな話なんだろう。

オタクを「やる」という意識は、それを忘れてようやく自分とオタクが和合するということだから、やり込み的にはむしろ意識すべきでないことなわけだが、一方でそれを意識しつづけねばならないとでもいうような強迫もまた強い。おれの日記カテゴリ [オタ] とかもそれだ。おれはオタ日記を書いてるわけだから、わざわざ [オタ] カテゴリなんか作らなくてもすべての日記がオタ日記だ、というようにも書けるのだが、そうはしていない。もちろん普通にオタ日記以外の日記も書くためという事情もあるけど、どちらかといえば、オタク日記をやるうえで、 [オタ] カテゴリは必要という考えのほうが先に立っている。おそらくこの気分は、20 代前半にはなかったものだろう。

BATTLEFIELD : Bad Company 体験版

BF シリーズは、なるほどーってかんじなんだけど自分ではハマる気ゼロという微妙なスタンスのシリーズ。その最新作の BFBC の体験版が XBLA に上ってたのでダウンロードして遊んだ。ふうむ、なるほどー、おもしろそうだなー、てかんじで終了。やればおもしろいんだけど、買わない。あんま好きじゃない。合わないといってもいい。おれの PC シューターに対する「あんま好きじゃない」感を体現してるタイトルということになるかな。なにがどうって聞かれると困る。グラフィックとかはむしろ好みだしな。うーん、湿度感が無いと感じているから、とかかな…。