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メモ1

生産者と流通者と消費者でいうと萌えは明らかに消費者の側で作ったもんだからこの仕組みを流通がすくい上げ利用しようとするのは非常にまっとうなことだと思う。アニメショップとかオタ向け雑誌とかすごくまっとうな商売だ、ああいった商売で間違ったことをやったら即座に死ぬが正しくまっとうなやりくちで売ってるぶんに死ぬことはない。牛肉をひき肉に加工してハンバーガーとして最終的に客の胃袋に入るって仕組みのことだからそれはわかりやすい。

だけど生産者側にまでその装置を持って行くっていうのは無理があるよな。客はハンバーガーが食いたいんだからハンバーガーのなる木を栽培しましょうみたいな話に感じる。とすればこういう考えは最初から違和のものであると自分で納得すべくおれの脳内に浮かんできたもので、おれがなんとなく恐れるフリークス牧場の遺伝子加工肉問題が実際に発生することはない。のだろうか?

メモ2

萌えっていうものを考えながら生産するのはつらいよな。

だって「世間のことなんざ全然知らねえんだけどとにかくおれが作りたいもんはこれなんだけど、おまえらこれってどおよ!?」とかやってるぶんにはその作品に対して客が一人でもつけばそっから先全部勝ちだけど、「おまえらってこんなのに萌えてるよーな気がすんだけどそのへんどうよ?」とかいうかんじのことも考えながら作ってしまったら、実際ついた客がなんとなく脳内で設定しておいたボーダーに満たなかった場合負けになるもんな。そんなの勝ち負けじゃないんだけどでもそこでやんなくてもいいジャッジを自分でしてしまうかんじ。

売り上げがとか資金繰りがとか、生業としての問題は置いといても制作者としてのモチベーションがそこんところで磨り減っていくかんじがする。それをやんなきゃいけないのが商売ってものなんだからまあそれはそれだけど、だからってそのことをはっきりと意識的に頭ん中に置いとかなきゃいけないような状態に自分を置いてしまうのは(つまり自縛的な萌え強迫)、それは苦痛だ。

つまり萌えは「客側の心理」というものをあまりに明確に表現する、便利すぎる単語として生産者を縛るんじゃないかなっていう不安だ。その意味について規定できる人間などいない、それでいてその存在自体を否定しうる人間もまたどこにも居ない。かたちがなくただ存在するだけの力なんてのは幽霊と変わらない。守護天使にでもできれば心強いがいつ背後霊になるとも限らない。

無自覚な人間ほど長生きするのも道理だ。TV 業界でいうところの「視聴率」っていう幽霊みたいなものなのかな。

メモ3

現在は消費者のほうが優位な時期だろう。生産者側にまで消費者の理屈が達しているってことからもうどうしようもなく明らかだ。どのジャンルにでも王は相変わらず君臨するが群雄割拠にもほどがあり、しかもかれらはその流れをコントロールするちからを持っていない。

ただそれはちょっとでもまっとうな業界ならどこだって普通はそうであるはずで、現代で王様になったからって力が振るえるなんていう原始的な状況はオタ関連でしかありえなかったはずだ。だから「多少マトモになった」ということかもしれない。

たとえばなんというか 10 年前マイケルジャクソンとかものすごかったわけだけど(客観的に一世を風靡したとかまではいかないだろうとは思うけど、それでも現在から見れば比類ない)、彼の凄さを支えた力というものは、その卓越した才能もさることながら世間の状況も巨大であったはずだ(それに乗っかる天賦があればこそともいう)。新しい、音と光の流通のしくみにのっかる武器としてのパフォーマンスが群を抜いて先鋭的だというアドバンテージもあったろうし、ビートルズとかなんとかが世界を制するための仕組みとして当時すでに脂が乗りまくっていた既存の流通体制にも力を発揮しえたろう。
世界的にインフラもコンテンツも個々の消費者の意識もキャパシティも全然ヘボヘボだったから、なんかすげえやつが来たとなればその他諸々の連中は十把一絡げに投げ捨てられてスーパースターに諸手を挙げて大歓迎、適当にレコード屋行って 10 人居たら 10 人とも名前知ってて 8 人くらいは聴いたことあって 4 人くらいは私ファンですとか言っちゃうような状況。それだけの人間が同じ音楽を受け容れてるっていうのはそれはファンとしては奇跡的にうれしい事件だけど、客観的にそれを鳥瞰してみれば「おまえらそれしか聴くものないんかい」とも言える。

貧困だからひとつにまとまるし、ちからは集まっていくはずだ。みんなに暮らしの余裕があったらでっかい元気玉なんかできない。そんなことしなくても十分楽しいから。

だからだんだんべつにショボい環境というわけでもなくなってきているオタ周辺事情の中でスーパースターなんか生まれる余地はなくなってきているだろうし、作られなくなっていくだろうと思う。それがまた出るようなことがあれば、それはそのスーパースターが消費者たちの慢心を衝いて度肝を抜くような見事で自然なパフォーマンスをやらかした場合か、それでなければ消費者がそろそろ弱くなって停滞と頽廃を過ぎて一周してショボい時代に戻りつつありますよーというサインだと思う。

生産者がだんだん兼業農家ばかりになり、消費者もだんだん家庭栽培とかやって、立場は結局同じにはならないんだけどなんとなく境界線が曖昧になっていくかんじ。プロフェッショナルもプロ市民も必要ない溶け合ったコミュニティ。

現在スーパースターは居ないだろう。そう見えるひとが居るとすれば、それは形骸化された過去のスーパースター文法を、実際にはそうでもないひとに対して適用しているメディアが残存しているだけで(ことばや文法は使えば使うほど消費されてしまうものだけど、かといって使わないでいると腐るし錆びていざという時使い物にならなくなってしまうから、手段に頼って暮らしているひとはそういうことをやらざるをえないだろう)、たぶん彼らの周辺に熱量はない。まぶしく熱い力の結集みたいなものがあったほうがそりゃ楽しいから、そういうものを「んー」とか横目で流して通り過ぎていくのはさびしいことだけど、でもそれができている現状っていうのはかれらに力を送らなくても十分世界が暖かいというありがたさの証明でもあると思うからおれはさびしくない。

というのはしかし、やっぱりちょっと強がりっぽいなあ。

去年あたり特に 2ch で見ることのできた「神」の台頭→消費の流れというものは、あれは粗製濫造→大量消費のシステムでガンガン大安売りをしつつも「それでもやっぱり手ごろな神仏を手元にいっこ置いときたいっていう欲求だけは捨てきれない」みたいなボンクラの情念のあらわれなのかもしれないし。