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真剣インターネットしゃべり場 2006 関連 その 2

二次会で、非モテのひとと脱オタのひとの対話を見ることができ、そのやり取りでの非モテのひとの対話テクニック上の失策が典型的に興味深かったのでメモ。たまたま会場に「おのれ脱オタめ!」みたいなかんじの非モテのひとが居て、ちょうどその場に脱オタのひとが居るというので話を振られて、細かいニュアンスは忘れたけど、

  • 非モテ「あなたは自分が非モテに対して優越感を持っていると思いますか?」
  • 脱オタ「ええ、それはあると思います、(以下滔々と解説)」

みたいなかんじで初手から悪手打ち投了していて、あーこれはいかんと思った。「おのれ脱オタめ!非モテに優越感を抱きやがって!」みたいなかんじの筋合いで攻めたい場合には、開口一番でのこのド直球は二重の意味で下策だろう。これはちょうどアレだ、「空中ガードしながら飛び込んでも、迎撃されなかったことに驚いてしまい技を出さずに素着地するオタ」(http://d.hatena.ne.jp/lu-and-cy/20050717#p3)の例だろう。いかんいかんよたぶんそれは脱オタ側が一端は優越感を否定してくることを想定しての発声だろうが、CPU 戦ならともかく対人戦でそういうみえみえのフェイクは無意味なのじゃよー、対戦キャリアまたは読みの浅さを露呈してしまっている。人間はそんなわかりやすい形で負けてくれない。

まず第一に、そのまんま「脱オタ非モテに優越感持ってるの?」とか聞いたところで、脱オタは原理的に非モテに対する優越感と無縁でいられないのだから、そんなもの「はい」と答えられるのに決まっている。底の浅い脱オタであれば優越感を否定してかかるかもしれないが(それこそ「一度否定したあと追求されてしぶしぶ自分の優越感を認める脱オタの姿」とかが安直には想定しうるわけだろうが)、現実がそんなうまくいくわけはないというか、相手の対戦レベルもわからないうちからいちばん安易な状況を想定して言葉を選んでしまうのは不用意。まずは相手の実力を量るべく当たり障りのない会話からはじめるのがよかっただろうし、また主題を「脱オタの持つ非モテへの優越感」に絞り込んでいくのなら、むしろもっと手前から慎重に、「どうすれば相手に一旦は自分の持つ優越感を否定させることができるか」を考え、その伏線のための言質を取るべく引っ掛け質問を繰り出していくべきだったろう。

次に、まあこれは相手が悪かったというか、脱オタのひとの対戦キャリアに圧された面もあろうから、一概に策の問題でもないかと思うが、「ええ、それはあると思います」以下の語調に呑まれてそのまま「会ったらいいひと」理論にやすやすと揉まれてしまったのが不甲斐ない。とにかくにも「いきなり肯定されてしまった後」の状況想定がなさすぎる。なぜそれが想定できなかった(または想定していても対応できなかった)のか、というのは、この非モテのひとの、ある種のいいヤツっぷりというか、真面目さみたいなものに依拠しているように思えて、どうにもそれを悪くは思えないのだが、まあ一応そうした認識のうえで書くと、こうなる。「他人に対してあからさまな優越感を公言するのは悪いことだから、そんなことを相手がするはずがない」。ある種の倫理観というかな。ただ、それは「あなたの」倫理観であって、「相手の」倫理観がそうだとは限らないし、またそれと別に、「他人に対して優越感を公言する際、それをあまり悪くみえなくするテクニック」だって当然ありうるのだった、こういう部分でどうしても対戦キャリアの差は出る。たとえばこの場合の脱オタのひとの態度などはさすがに見事であり、明瞭な理性に一定の誠意まで感じさせ、正直な実感を相手に伝わるよう言葉を選んで丁寧に説明するその態度はどう見ても「非モテを見下す悪い脱オタ」のそれではなかった。けど理論派かつ武闘派の非モテであれば、問題にすべきは相手の振る舞いより立場のはずだ。言葉遣いや振る舞いに惑わされず、調子を狂わされようとも当初予定から軸をズラさずその優越感自体への糾弾を止めるべきでなかった。うやむやになってしまったのは残念だった。そりゃ大概の人間は会ったらいいひとなわけだよ、しかし目の前に居る会ったいいひとを、立場の違いからそれでもやはり憎むことができるのが、その非モテの抱え持つルサンチマンの力というものではないのかと。思いつめた若者らしくキャラに徹するのであれば、そこは貫いていただきたかったというか。最後に和やかに「わははそうですか、わかりました、やはり貴様は敵だ!」くらい言っとけば、捨て台詞としてもナイスだったんではないか。