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最近の読書

ところで北方水滸伝世界で何度も繰り返し語られることのひとつに、この作品世界での肉の序列がある。考証の妥当性は知らない。けどまあたぶんそんなもんだろうという感覚はある。上から順に、

  • 羊肉
  • 豚肉
  • 牛肉

だ。この三つのヒエラルキは絶対といってよい。羊肉は上客をもてなす抜群の肉であり、牛肉はほかの肉を食えないやつが食うものというかんじ。豚肉を食っていると金持ちがやってきて、羊肉を出すから豚肉を下げさせる、というような描写が何度かある。どちらも食おうというような流れになることはない。たぶん「尊重すべき客に対して格下の肉を出さない」のはもてなしの手続きであり、作法のレベルに食い込んだ話ということだろう。

これらのほかに、魚肉、兎肉、猪肉、熊肉などがあって、どの位置に来るのかまだよくわからない。いずれちゃんと当該部分を読み返して調査したい。なんとなくの話でよければ、兎は豚より下、魚肉は豚肉といい勝負、猪は豚のオリジンなので加工次第で豚基準プラスマイナス、熊は場合によって羊肉を凌駕、というかんじではないかなーというのが現時点での感覚。

これが現代日本の場合、たぶん序列は真逆になっていて、牛肉が最上級の肉として一般に認知されていると思う。メジャーな肉を並べると、

  • 牛肉
  • 豚肉
  • 鶏肉

というかんじになるか。じつはこの価値観はけっこう特殊な例である、というような話を中学の頃聞いた(本当かどうかは知らん)。実際に豚肉と牛肉では豚肉のほうがうまいとおもっていたこともあり、わりあい納得した。羊肉については、豚肉や牛肉ほどには食ってないのでおれの中で格付けするのに至っていないかんじ。そういえば北方水滸伝では鶏肉が出てこないな。宋代の中国人は鶏食ってなかったのか。なんとなく兎肉あたりと互換性がありそうな気がするのは、おれの脳内マッピングの話でいうと徳川綱吉氏のせいか(綱吉→生類哀れみの令→兎をコッソリ食うために「一羽二羽」と数えた→鳥→鶏肉、というかんじの連想)。おのれ幕府めー。

そのほかにも、一巻に一度は名物料理が出てくるのが北方水滸伝の魅力でもあるので、次読み返すときにはそこいらへん記録をとっていきたいという TODO。八巻では、例の「豚の野戦料理」に極めて近い猪料理が出てきた。梁山泊入りした解珍解宝親子が、あれに工夫を加えて猪を豚に変えて、いずれ野戦料理を出すのではないかと期待している。

風邪気味

この土日は電脳コイル見ながら「神作画神作画」連呼しすぎたせいか喉が痛くなってきた。窓開けると寒いし閉めると暑いしで、むずかしい季節だ。こないだまでの風邪は、腹こわしたり鼻がつまったりというやつだったから、喉だけ痛い今回のは毛色が違うかんじだ。薬でも飲むかと思ったけど効きそうなやつがない。

天元突破グレンラガン

グレンラガンにおける、機動戦艦ナデシコでいうところのダイゴウジガイ的存在のやつが今週死んだ。まあこいつは遅くとも中盤までには死ぬんだろうと一話から思っていたので死んだこと自体については意外ではなかったが、最終的にキャラの評価がおれの中でかなり高まったのが意外だったかなー。あまり好きなかんじのキャラクタではないんだけど失点が全然なくて加点がいっぱいあるかんじだ。ダイゴウジガイといっても山田二郎ではなく、まさしくガイとして生まれてきたかのような意味でのガイだった。なんでさっきからダイゴウジガイと書いてるのかというと、おれがキャラクタの名前覚える前に死んだので名前がわからんのだ。調べよう。調べた。カミナだった。

なんだろうか、「大海に出てもけっこういいところまで行けたはずの、悪い巡り合わせの中でもベストを尽くした井の中の蛙」感?ツッパリがツッパリ通して死んだってかんじだな。いや死ぬとわかったあとからさらにツッパってみせたあたりツッパリ以上のツッパリであった。とにかくにも首尾一貫して前だけ見て生きて死んだ。どうにもならない渇望と熱情があり、しかし未来を自ら閉じる覚悟も持っていた。一話のあたりは本当ただのワルガキだったがオヤジの死体をみつけたあとの落差のなさ、受け止め方がまず良くて、そこで株が上がった。気持ちだけで生きているキャラじゃないなと思ったからだ。夢を睨んでも足元の石に躓いて死ぬこともあるという現実にもひるまずツッパリつづけたのは肝が据わったからだろう。あのショックを乗り越えたことがカミナの死に様にまでたぶんつながっている。四話での奔放な表情の味わいも良かった。無邪気に見えて必死、あるいは必死さが無邪気さでもあった。一歩たりとも引かない頑なさは危うさというよりも、目標への絶望的な距離感と目先の死の恐怖との板ばさみ状態を、いっそ割り切る覚悟だったろう。有限の生以外を生きるつもりがなく、有限性を受け容れたがゆえに顧みず目の向かう先にだけ突き進む男にカミナはなった。もちろんそれができたのは、父に対して自分が居たように、自分に対してシモンが居たからだ。死にかけながら立ち上がるときカミナはヨーコを振り返った自分を笑ったかもしれない。いやそういったこともまた致し方のなさとして割り切る力がカミナにはあるか。あるいはシモンの姿だけがあってその他のことなど思い出しもしなかったかもしれない。その確率のほうが高い。カミナはそういう男だった。そういう男であったカミナの死は、だからヨーコにとって受け止めるには変化球がかっているだろう。

シモンとヨーコとカミナの三角形がわかりやすすぎて油断していたってのもあるか。もうちょっと何話かすったもんだあった後で死ぬのかと思っていたようなところがある。けど事態は想像よりシンプルかつストレートに回帰不可能線を突破していった。シモンはまあ、どうとでもなるとしてヨーコはどうなるんだこれ。そういったことも受け止めて変わっていくくらいの性能はこの作中の人間なら誰でも持っていそうではある。けど話の流れの中ではー、どうなんだろ。先の展開が全然わからん。ザ・ブングル感とかで回収できる領域ではなさげだ。さすがに 21 世紀のアニメか。当座の話でいえば、主要剛直キャラが死んだら珍奇な新キャラが出てくるというパターンを踏襲して、来週はトップ 2 のノノ役っぽい声のひとのキャラクタが出てくるようだけども、予告を見たかぎりでは。カミナの抜けた穴が、丹念に埋められるのか、またはそんなものさえ飛び越えて転がりながら突っ走っていくのか、というあたりかな。