matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

はてな最適化問題関連

はてな最適化(という呼称もずいぶん古臭くなってしまったが)に関する諸問題をいち界面から見れば、ある時期以降に醸成された倫理観みたいなものが根底にある気がしている。「公開の場と非公開の場を使い分けるのはアンフェア!」みたいな…。で、たぶんこれ「リンクフリーはフェア!」みたいな謎の正論街宣車フリーライド願望と似てる気が。それらは当然、それらを声高に唱えるひとにとって必ずしも都合のよい倫理観であるとは限らない。そのうえでそれらは、多種多様でオプショナルな倫理観の中からわざわざ選び取られて実装される。「必ずしも自分を有利にしない正論(の中のひとつ)をあえて、しかも大した理由もなく支持しつつ緩慢に沈んでゆく現代人感覚」みたいなもののひとつ。

ただ、「公開の場と非公開の場を使い分けるのはアンフェア!」みたいな話に限れば、それっていはゆる論壇プロレス的な「どうせこいつら裏では仲良くやってんだろ」みたいな感情を年長世代のプレイヤに感じていた下の世代が上がってきて、裏になにもないシュートをやろうとしている、みたいな一面もはあるんだろうなーとは思う。一部には。

街宣車フリーライド問題についていえば、たとえば伝統的な匿名コミュニティ擁護として「正しい意見は誰が言ったかは重要ではない」という意見とかが連想される。これ自体がいはゆる「正論」であることからもわかるとおり、このメソッドを利用する場合、利用者は自身の匿名発言について常にその「正当性」にバインドされる。で、この理屈はもちろん、匿名であるかどうかを問題にしないから、「誰が言ったかは重要ではない」の「誰」には「当事者以外の具体的な誰か」も代入可能。というわけで、当事者やオーソリティが出発させた街宣車に匿名顕名問わず関係ないひとがガンガン相乗りしまくる状態が発生する。さらに「正しい意見は誰が言ったかは重要ではない」にはその後「…ただしそれを誰が聞くべきかは重要である」が続くと理解されているので、街宣車の声は「聞くべき誰か」に集中する、という状況がいはゆる「炎上」。

どちらかといえば「誰が言っても正しい話を聞くべき誰か」とは「意見を汲み上げて現行システムを再構築する誰か」であり権力者なのではないかと思ったりもするが、まあ街宣車が炎上方面にはしった場合に乗員がどう納得したいのかは当人が決める問題なので以下略。頭こんがらがってなにが問題なのかよくわからなくなってくるけども、あれよ、これだけインターネットが揉めやすくなっているということは、「正当性に根拠を求める者は正当性をルールとして内面化し、暗に従うようになる」(←自分の意見が「正しい」がゆえに声高になるひとは、「必ずしも正しいとはいえない」と自分で判断した意見を主張する際、あまり大きな声が出せなくなっていて、それは内面の問題であるから、そのひとが匿名者(=主張の連続性を保障する必要のない立場)として振舞う場合にすらその傾向が現れる)というその力は意外に根深く浸透しているようだし、なんというか今や将来に逃げ場を必要としそうなひとたちの逃げ場はどんどん狭くなっていっているようである、というかんじがある。

とかなんとか。