秋元康氏プロデュースユニット関連
AKB48 スピンアウト的ユニット名「渡り廊下走り隊」が、おニャン子クラブスピンアウト的ユニットの「うしろゆびさされ組」の歌「うしろゆびさされ組」の歌詞で予言されていたことを考えると、NextGen 秋元氏プロデュースユニット(たぶん十数年後の)名が、「初恋ダッシュ」あたりに隠されているはずだ、と思って歌詞を見比べてみた。
もちろん、そんなことをしているおれの脳裏にはハイスクール奇面組のことしか浮かんでいない。よくしらんのよねどっちも。
基本的には、「渡り廊下ですれ違うけど俯いて後姿を見送るしかない」という、うしろゆびさされ組時代のメンタリティ限界を打破するという点で、渡り廊下走り隊の新世代感が達成されている、という考え方でいいと思う(なにせ走るわけだから、俯いてはいない)。…ということは、「初恋ダッシュ」から渡り廊下走り隊がやりたくて出来ていないことを拾い出せばいい。「ハートに近づけない」「好きと今は言えない(長期戦)」「独占したい(ができていない)」「話しかけられない」、とまあこんなもんか。
- ハートにタッチアンドゴー→今すぐ告り隊(短期決戦型)→長期独り占め→おしゃべりし放題
らへん。
しかし「うしろゆびさされ組」から「初恋ダッシュ」では全然シチュエーション違うのな。かんたんに言えば「うしろゆびさされ組」は、「キモいひとに片想いしている(けどそれを表に出せないので、身振りとしてはキモ人間を普通に避けているほかの女子と変わらない)」という歌だから、思春期オタクの虚無感に対して婉曲的に(自分がもしかしたら誰かから好かれうる人間であるのかもしれないという可能性として)寄り添うタイプの歌だといえるが、初恋ダッシュに出てくる憧れの男子はモテモテ人間だから、実態としてのアイドルファンには寄り添っていない。とはいえこれがおニャン子と AKB の時代差なのかといえば多分そんなことはなく、たとえば国生さおり「バレンタイン・キッス」とか見ると「チョコレートをあげる程度のアピールでは認識してもらえなさそうなモテ人間」が意中の相手として登場する。
なんとなく似たイメージのあるスピンアウトではあるが、「うしろゆびさされ組」と「渡り廊下走り隊」ではターゲットシチュエーションが違う、と考えておいていいんだろうか(うしろゆびさされ組型ソングに対するおれの印象→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070222#p1)。もっとも「おれは誰にも愛されない」という虚無感が閾値に達した人間は「おれを決して愛さないのであろう人間に遠慮して生きるなんて馬鹿馬鹿しい」との確信から突飛な行動に出かねないので、この種の慰撫をかけ続けることで「絶望感を抱いている人間を絶望させないこと」は安全保障上重要である、という考え方もあるらしくて、ますます何というかアレ。この世には救いがない。ないのだから己が因業は自分で引き受けたほうがよい。猜疑心がネットワークを覆うとろくでもない現在がやってくる。
脱線したけど、まあざっくり言って「ファン側に寄り添ってほしい」という欲望より、「ただかわいい女の子たちがかわいく動いているところを見たい」という欲望が勝るなら、アイドルが歌い上げる歌詞の中に登場する男が自分たちと縁のないイケメンであったとしても、べつに問題はないよなーと思ったりした。これが歌でなくストーリーということになると、ちょっとわからんけど。アニオタの場合のセーラームーンにおける浦和くんとか、ステルヴィアにおける音山光太とか、ファンたちの脳内という平行世界ではあんまハッピーな末路を迎えていないような気もする。まあ、二次元オタの世界には名テンプレ「朝おきたらとなりでルイズが寝ていた。」とかもあって、絶望の焦土からでも人間はきっと立ち上がれるさ、だって生きてるかぎり腹は減るし、とか思っているのだけど。
- ニコニコ大百科「朝おきたらとなりでルイズが寝ていた。」
68 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/09/15(火) 19:15:38.30 ID:oWxFhNZO0
- 朝起きたらとなりでルイズが寝ていた。
俺は死ぬほど嬉しかった。何せ夢にまで見たルイズだ。
童貞の俺にもついに彼女が出来て幸せに暮らしていける。
そしてマイホームを買って子供をつくって毎日幸せな生活をする。
そんなことを一瞬にして考えた。
でも、ルイズは「サイトはどこ?サイトどこにいるの?」
って言うんだよ。俺のことは見向きもせずに。
そのとき分かったんだ。ルイズはサイトと幸せになるべきだって。
だから俺は一緒にサイトを探してあげた。
やっぱりルイズの笑顔は俺に向ける笑顔よりサイトに向ける笑顔のほうが可愛い。
俺は二人が幸せになってほしいと願いながら立ち去った。
そんな夢を見た。
起きてとなりをみた。
ルイズの抱き枕があった。
目から涙がこぼれた
あとはー、渡り廊下走り隊という名前は、「走りたい」の洒落としてなら個人的願望なので実際には走っておらず、「走り隊」というチーム名としてなら集団走行が趣旨となっていて。願望にすぎないのか既に走ってるのか、リリカルな個人なのか実践する徒党なのか、曖昧なまま両面にいいとこ取りしていてすごいなと思った。チーム名であることにより「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」的な実質的 DQN 性へもリーチしており、なんだか粘り強いし。