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おれとインターネット

いまどきのインターネットは便利なので、わりあいインターネットで何でもできるっていうか、家探しに職探しに恋人との出会い、趣味活動や友達探しに至るまで全部お任せって風潮がある気がしているんだけども、おれは古い人間なので、ネットとかそんなあやふやなもんに自分の日常生活のためのインフラのっけちゃうのはあぶねーだろ、という感覚をいまでも引きずっている。自分の人生いっこぶんをのっけるのには、おれの頃のインターネットはたいへん脆弱だった、という事情がもちろんでかいのだけど。「ネット外の生活インフラでカルマ循環系を維持できないからインターネットへ」みたいな態度というのは、貯金もないのに博打を打つようなもので、なんつーかリスキーさを恐れぬ新時代の旗手やでーというかんじだ。余戯の領域で済ませられるならそれに越したことはない。それに、伝統的なオタクは博打をあまり好まない。

で、貧乏で甲斐性がない我々のようなおっさんオタにとって、共有されうる問題は「友人」ということになっている。暮らしの裕福さや家庭の温かさはそれらと縁のあったラッキーな人間たちだけの話題だから、我々の共有財産になりうるものは、好きな話題が盛り上がっている同時代のシーン群と、そこに居る「同じ話題で盛り上がることのできる友人たち」だけなのだ。

  • おれの場合でも、ICQ で知り合った友人とルームシェアしていた時期があったりとかして、一応インターネットがなかったら結構人生違ったかもなー側の人間ではある。とはいっても、生活インフラの基本的な部分(上京プロセスや職探しなど)はインターネットとか全然関係ない経路で確保してきたし。あんまデジタル人間ではない。長いこと web 日記を書き、それなりに OFF 会などにも参加して、ネット社交的な空間もある程度見てはきたつもりだけど、ああいうのに首突っ込んだらオモシロよりメンドクサのほうが充満して飽きがくる(そして結果的にオモシロからも遠ざかる)のは目に見えていたので、とにかく「好きでいるためにはラクな関係がいちばん良く、そのためには知り合ったひとと利害(損得)関係を作らない」というのがいちばん安全だと思い、そのようにしてきた。おれはおれと関係なく勝手に生きて勝手に死ぬみんなが大好きだ。そして大概の場合、それ以上ではない。
  • …というか、じつは学生時代の二年目以降、おれはほぼすべての期間「共通の趣味を持つ友人とのルームシェア」的な状態で生活しており(シェア相手は時期によって全然違うんだが)、とくに東京では、一人暮らししたこと自体がないのだ。したがって「ネットごしにしか友人がいない」みたいな状態は、考えられんっていうかリスキーすぎだろって印象になる。
  • 「身近に趣味の話ができる友達が居ないからネットで探す」というのは、まあ「隣の部屋に友達居るけど、なんかおもしろいことないかなー」と思ってネットやってる気分とは全然違って、切迫したものがあるのかもしれない。「身近に聞いてくれるひと居ないからネットに書き散らしとこう」ならいいんだけど、「誰かにわかってもらいたい」とか前のめりになると、理解者が現れるまで刻々と微量のダメージが返り続けることになる(Health が尽きるまで待っても現れないかもしれない)。それって気の持ちよう次第でノーダメージにできるんだから損だよなーって思う。が、まあ他人の考え方なんぞおれにはどうしようもない。
  • おれのような事例はちょっと特殊かもしれんが(というか 20 代からこっち、かなり意図的・計画的にそのような暮らしを維持してきたんだが)、まあ気の持ちようの問題として切り分ければ「ネットは知人増やすのに向いてるけど友人作るのにはあんまり向いていない」くらいの気分で触れたほうが、結果的にラクにやれて、且つ案外そこから友人が見つかったりするもんじゃないだろうか。

でもこれから先は、おれもそんな悠長なことを言ってばかりも居られない。人生ままならんものよ。