matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

綾波クローン設定て劇ヱヴァでも継承されてるの?

これ(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20090821#p1)の後編を書くつもりだったのに書く暇なかったので、日記にまとめていなかったが、去年劇場でヱヴァンゲリヲン新劇場版・破を見たときに、なんかこう「TV 版を見ていこと前提、というレベルで知識を要求しているようでいながら、じつは大して前提とかなくても見れるようになっているのかもしれず、そして仮に(旧作の)前提なく理解可能なストーリーだった場合、旧作視聴者はむしろ旧作でのストーリーや設定知識にひきずられて、今作ではっきりそうだとは描かれていないものに対して、前回こうだったんだから今回もきっとこうなのだろうと錯覚して、変わっている(けど敢えてそれが特徴的に描かれていない可能性のある)部分について、ミスリードされてしまい、旧作未視聴者に本作理解度において立ち遅れてしまう可能性があるんじゃないか、それを検証するためには、旧作知識がない前提で、(本編ではっきり描かれている情報だけを頼りに)ヱヴァ世界とそのストーリーを脳内で再構築する必要があるんだけど、旧作視聴者としてはその作業がすげえ面倒、だがしかしそういう「知ってしまっている状態で敢えて「それを知らない自分」を設定して作品の再検証を行う」という行為は設定(文芸)オタのもっとも本質的なアクションだから、燃える、けども、もし本当にそれが「必要」レベルの作業になってしまうようなら、劇ヱヴァってほんとめんどくさい話やね」みたいな感想を持って、すごく気持ち悪かった、というのがあった。

まあ「前回そうだったからといって、今回もそうだとは限らない」「実際今回には前回と違う設定が結構ある」「ストーリー展開に関わる重要な設定は、何回繰り返そうとも毎回確認されるべきはずのものだ」「だが本作については「前作展開において自明であるから、作中での設定確認は省略します」的な処理もわりとアリって印象もある」「しかし、効率の問題と読解安全性の問題は切り分けられるべきだろう」とかなんとか、諸々入り混じった感情の処理として。

たとえば、劇場で劇ヱヴァ破を見たときにスゲエ引っかかった台詞のひとつに、

「いいの、碇くん。私が消えても代わりはいるもの」

「違う!綾波綾波しか居ない!」

というものがあった。これは TV 版での綾波「私が死んでも代わりはいるもの」を受けた台詞と、それに対応した 21 世紀シンジさんのかっこいいアンサーというかんじになってる。「代わりはいるもの」とゴリ押しによる突破を企図する綾波の連コインを止められなかった旧世紀シンジ、を乗り越えて「綾波綾波しか居ない!」と叫ぶ新世紀シンジは男やでー、という…それはつまり「TV 版の展開を知ってる前提でなら生じうる感想」なんだよね。TV 版知らなくても燃える展開ではあるけど、それがないなら、台詞の意味合いはちょっと違ってくる。

TV 版の「私が死んでも代わりはいるもの」は、綾波(の身体)が大量複製可能のクローン人間であるという設定が背景にある。で、劇場で見てて「あれ?新劇場版では綾波のクローン設定てはっきり描かれてなかったよな?」と引っかかったのだった。一応、水槽でメンテナンスを受ける綾波の首に 02 と書かれたネックレス的なものがついていたりして、言外のメッセージにはなっているっぽい気もするけど、「綾波はクローン人間第二号で、いつ死んでもいいようにネクス綾波素体が準備されています」とまでハッキリ描かれてはいない。…いやまあ、そういう視聴者に対する設定開陳の話なら今後の展開次第だろという話でしかないんだが、ポイントなのは、劇ヱヴァ版のシンジは、当該シーンに至るまでに、綾波がクローン(自分自身のバックアップが準備されている)人間である可能性について知る or 考える機会を持たなかったはずだし、したがって当該の台詞はそんな可能性を考慮してのものではないはずだということなのだ。

  • クローン設定がある場合、綾波は自分の代わりは「n+1 人目の自分」を想定している。
  • クローン設定がない場合、綾波は自分の代わりとして自分以外のパイロット候補生(リツコ等が準備しているのであろう「バックアップ要員」とか)を想定している。
  • 有無に関わらず、そんな設定が想定外である碇は「綾波が自身の代わりとして、式波や真希波など別のパイロットをイメージしているのであろう」と想像しているはず。

そのうえで碇は、自分を役割・機能としてしか見ていない綾波に「違う!」と叫ぶ、これはとてもシンプルな話だ。ここで読み取られるべきコンテキストは三人目の綾波の影とかではなくて、味噌汁→弁当→食事会的なメシバナだよ。だから、むしろ「劇ヱヴァでは綾波に大量複製設定はない(ユイをサルベージした人間以外のなにかではあるかもしれないけど、身体複製の確実性は低いとか?)」とでも理解しておいたほうが、感情の流れとしてはスッキリ理解できる気がするんだよね。