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「これからのゲーム業界はソーシャルゲームで大勝利」関連

  • いやいや、どんだけ儲かるのか知りませんけどソーシャルゲームはつまんないので、「そこに期待しろ」みたいな煽りは、すくなくともオタ向けには筋が違うでしょ、ゲーム会社の経営者にでも届けておくれよ、というのがおれの雑感。要約すると「それポジショントークすぎるうえに筋が悪くてちょっとアレ」。
  • ソーシャルゲームが盛り上がるのは結構なことだが、盛り上がればいずれおもしろいタイトルが出てくる、という類の無根拠な希望の持ち方ができたのは MMORPG 以前、つまり 90 年代の話で。新しいインターフェースの可能性、とか霞食ってりゃパンは要らないよね的言説は記憶に新しいわけで、喧伝はその新しいインターフェースを使ったすばらしい現物が出たあとにやってくれ、という。
  • ゲーム会社が儲かったらいいですね、というのは「自分が好きなゲームを次々生み出してくれそうな開発者が裁量内で使える金がドンドコ増えればいいですね」の要約で、儲けるためにおれにとってつまんないゲームばかり作るようになったら「関係ない会社になりましたね」で終わりだし。
  • おれはゲームエゴイストだが、ゲーオタが忠誠心を持つのが誤りだった、とは全然思わない。それなくしてオタはやれん。ただゲーオタとしての忠誠心をどこに向けるか、ということについては、ある程度オタをやりこんできたとき立ち現れてくる問題で。まずはゲームタイトル、そしてゲーム開発者、拡大してブランドやゲーム開発会社、あたりまでは大して問題ないが、そこからだんだんゲームパブリッシャやゲームプラットフォーム、ゲーム業態や業界、みたいなものにまで拡張していくあたりで、なんだか妙なことになっていく。動員したい少数と動員されたい多数(という建前での実数不明のクラスタ)の共犯関係がライジングしてくる。そんなものから自由でいなければ、自分が本当には何が好きなのかを探す手間が増えていくだけだ。あるいは、本当には自分は何も好きではなかった、ということがわかるのかもしれないが、百聞より 1 プレイを重んじるゲーオタが、辿りつくこと自体に価値をおかない道理はない。ある時期に、なるべく動員されることなく、己を衝き動かす必要があると気付いた、それだけのことだ。
  • 忠誠心がよじれると、以前書いた「マーケットシェアにおけるゲーム論争が好きなひとたちって、単に「世の中ゼニやー!ゼニやでー!」ってだけの話なのかと思ってた。中身にはもはや興味なくてようは売り上げなわけだから、たとえばゲーム会社が各社こぞって米とか野菜とか売り始めると、全国のお天気情報サイトとかにかじりついて一喜一憂しはじめるイメージ」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080604#p1)みたいなへんなよじれに動員されてしまって地獄。

またぞろ脱線したので、最初の話に戻すと、

  • 家庭用ゲーム業界はもともとヤバくて、それは各業界の各メーカーが、グローバル化していく世界のなかでそれぞれに生存戦略を模索した結果として淘汰されたり恐竜的進化を遂げたりして、そして恐竜になってしまった以上は滅亡しないわけにはいかなくなった、で、唯々諾々と滅ぶわけにもいかんので、じゃあ次どうしましょうね、と皆が頭抱えている、というだけの話。
  • 一方現在世界中の皆さんがこぞって開拓中の、カジュアルゲームソーシャルゲーム(やインディーゲーム)みたいな分野があって、ここにチャンスの鉱脈が眠っているのは間違いない。ただし、掘り当てられるマネーの量が実際どんなもんかはよくわからん。すごく大きそうにも見えるし案外ショボいのかもしれん。とりあえず、頭使わんと実入りの少ない世界であるのは明白。アホみたいに金使って全然モノになりませんでした、みたいな事例いっぱい。鈍重なだけの体制の組織では戦えない。
  • というわけで「ソーシャルゲームに移行しないと家庭用ゲームメーカーは死ぬ!」みたいな言説はピンボケ。まずソーシャルゲーム「しかない」わけがないし、そもそもは組織(というかプロジェクト単位)が巨大化して身動きの取りづらい体質、という家庭用ゲームメーカーが抱えている問題によって、家庭用機メーカーは衰えつつあるし、そして同じ理由でソーシャルゲームへ参入しづらい状況が続いているんだから、べつに「ソーシャルゲームに移行すれば助かる」わけではない。というか、簡単に移行できるようなら、まあどのみちある程度衰退はする(ように見える)んだが、滅亡はしない。そして、滅亡しないように体質改善できたのなら、その身軽さを使って何をやってもいいんだから、べつに新規開拓先としてソーシャルゲームを選ぶ必要はないのだ。
  • で、そのようなトレンドが邦洋共通かっていうと違って、アメリカのメーカーは結構先を見越した(再構築という意味での)リストラを行っているように見えるんだけど、日本のメーカーはどっちかっていうと(単にパージするという意味での)リストラしか現状できていなさそうな印象。だいじょうぶか。次の次の世代あたりで花を咲かせるための種蒔きは、いまやっておかないときつそうな気もするんじゃが。勝手に育ってくるはずの新世代ゲーム開発者に期待する、みたいな態度でも収支 OK ならよしなのか。
  • というか、90 年代のプロジェクト大規模化に耐えられるよう肥大化し、それによって「現在抱えている組織体制をうまく回すことが可能なタイプのゲームしか開発できなくなっていく」という新たな問題を抱え込んでいった日本のゲーム会社の事例を、北米のゲーム会社は勉強していて「あの轍は踏むまい」と頑張って舵取りしているのが現状なんじゃないだろうか。結構思い切ったリストラでも、兵隊は減っても士官は減ってないみたいなかんじで、うまいこと戦闘力を調整してる印象がある。まあどのみち、兵隊としてこそ優秀なタイプの開発者にとっては、きつい時代だろうが。彼らをゲーム業界に引き込んだ流れが、そのまま彼らを苦しめる流れへと直結している皮肉。

とかなんとか。ちょっと今(実時間 03/29)忙しいから、頭こんがらがって、やっぱりとりとめなく脱線してしまうんだが。

なんかよほど新時代の知性とかが結集してくれれば、「なんとこんなものがおもしろかっただなんて!」という展開も期待されるが、とりあえずリタイアしたロートル流入する、というだけでは、その先で彼らの能力をディレクションできるひとが居ないと、日本においてはたぶん「i-mode と一緒ですね」みたいなひどい誤解でも結果的に問題なかった、みたいな話になってしまう。「そんなふうな理解で済ませようと思っているやつらの目にものを見せてやる!」みたいな気骨に期待したいが、まあ期待値は低くみておこう、というかんじ。