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最近のアニメ - 化物語関連

アリャリャギさんでも見てアニメちからをたかめるかー、と思ったので再視聴。化物語は、なんのかんので最近作中随一のリプレイバリューを誇っているな。

  • ところでシャフト社作品のアニメ絵は、神作画(←東京ミュウミュウ当時の用法でいう「綺麗な静止画」的な意味)でもなければよく動くわけでもなくて、放送の高解像度化&それに伴う HDTV 普及の波に対応して、高解像度鑑賞に耐えるようテクスチャ詳細度に気を配っているだけ、だと思っていて、そしてその方法は、現在形の TV 放送でのパフォーマンス(品質を一定以下に落とさない・コストのわりに高品質っぽくみせる)の出し方として優れてると思う。
  • …んだけど、なんか若いアニオタのひとと遣り取りしてると、どうも彼らにとってシャフト絵は神だということになってるっぽい。「どうアニメを見るのか」という文法に置いていかれつつあるな。要調整。色使いがいい=神、タッチ感がある=神、よく動く=神、質感を上乗せしている=神、とか、そういう「神」の翻訳問題か。
  • ただ、「神作画」とか「神ゲー」とか「神曲(←ダンテのほうじゃなくて)」とかいうときの神と、ただ「○○は神」というときの神は、たぶん結構ニュアンスが違っている。「神○○」と呼ぶときの神は、それを評価する主体としての自分や自分の帰属する仮想共同体みたいなものに支えられている(というかそうした発言は、それらを下支えしている自負のようなものから出発している)んだが、「○○は神」と呼ぶときの神は、そうした主体から切り離された、ひとの評価や考察の及ばぬもの、あるいはそういったアプローチを試みること自体避けるべきであるもの、として使われているような気がする。

まあ神連呼するタイプのひとは、あんま細かく自分の言語運用を説明してくれないので、想像だけど。仮に考えていなかったとしても、というかあまり考えていないのにも関わらず表出する差異だからこそ、それが重要だという気がする。