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ゲーム論議をハード別で争う形態関連

(あたりまえだが)ハードウェア別のマーケットシェア論争の主戦場はゲーオタのなかでもコンシューマ界隈限定で、べつにこれ全体戦の話題とかではなかったりするんだけど。

  • 「全機種買うのが最強」言説は、有効になったり無効になったりの転回が 00 年代中すくなくとも 3,4 回は起きていて、現在はどっちかというと、たぶん無効側が優勢。いちおう大勢としては有効側に傾斜してるような気がするんだけど、それより大きな枠組みでいったら、最近のゲームは全般的に「ゲーオタ」という漠然としたひとつの受け皿に大雑把にぶん投げられてくるわけではなくて、(より最適化された)ライフスタイル提案型の娯楽に近くなってきているため、「これら全部やり込んでたらおれの生活スタイルがバラバラになっちまうよ」みたいなかんじで、そもそも全ゲー遊ぶぜという態度をゲーム消費単位としての合理的選択にするのがむずかしくなっているという状況がある。この問題は機種によっては綺麗に分割できず、ジャンルで分割するのも不適正で、やはり「ターゲット(消費スタイル)」でしか割れないと思うんだが、とりあえずのところは、既存のマーケットシェア論争にも影響を及ぼして、よじれた加圧として働いてんじゃねーかなと思っている。
  • で、定番の「全機種買えばいいのになぜ買わんのか→そりゃ小遣いと子供部屋の容積は有限だからね」関連。小遣い問題は子供だけとは限らず、大人になっても奥さんに財布の紐握られると、ゲーム機買う家庭内稟議を通すためありとあらゆる献身が必要、みたいなおっさんも居るので「ほっといてもいずれ時間が解決するさ」とはいえないのだった。これもまたある種ライフスタイル問題といえるのか。
  • やらないこととやれないことは違うわけだが、「やれない」という現在を、過去に遡って「自分がやらないことに決定したのだ」と引き受ける、という過剰な自己責任感みたいなものが、たぶん 00 年代のリアルっつーか、関連文書読んだことないので知らんけど決断主義というものともつながってる気分なのかなと思ったりしている。これをゲーオタに適用すれば、(大したことのない事情によって)買わなかったゲームについて、「自分はこれを買わないと決定したのだ」と自己内で強化する態度、ということになる。
  • ゲームでも若オタ向けのチューニングってのはあるはずだが、若いひとにとっては、本当はゲームなんてなんでもいいはずだ。なんにでも対応できるだろうし、(つまんないよりはおもしろいほうがいいってのはあるだろうけど)多少のことはコミュニティで吸収してしまえる。こだわりってのは凝り固まりだし硬直だから(≒「これじゃなきゃダメ」みたいな偏狭さ)、おっさん側にこそ必要で。
  • しかし同時に、若オタはおっさんと違って文化的に孤立してばかりではいられない、という状況からも、「先に来るはずの同調圧力、を見越した調整圧力」みたいなものがアイテム選びに働いてくる。それが流動するところがコミュニケーションのおもしろさだけど、不安定すぎると疲れちゃうから、「勝つであろうはずのものを安定して勝たせる」みたいな流れにいろんなベクトルが合流して、潮目が生じやすくなる、みたいな。

おっさんはまあ、おっさんなんだから、それぞれのポジションでやりたいようにやればよかろう。