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最近の読書

「サマー / タイム / トラベラー」読み終わった。改めておもしろかった。結構細かいこと忘れていて便利だった。やはり基本的な部分には共感できなかったと思う。おれの場合あきらめてはいたけど、未来はなんとなく明るかった。というか、なんだろうな、おれの高校時分の気分でいうと、「成長」とか「拡大」とかいいたくはなかった。「移動」をよく使っていた。そういうかんじだ。屈折しているのにせよ、度合いなり角度なりは違った。しかしまあやはり、この主人公の鈍感さには、共感できる。

あと、SF 的な興奮というものについて考えたりもした。科学の進歩により社会が変容して、そこにひとの感受性が追随する、そのディレイに生じる悲喜こもごもが、好物だ。べんりになり、良くなり、強くなり、速くなる、しかしそればかりではない、ということだが、とにかくにも「変わること」と「変化を感じること」が混ざり合う、その前後の感覚を持ち合わせて楽しむ、そのディフォルメ感を得がたいものとして、子供の頃は楽しんだと思う。そういうことを踏まえて、おっさんになった今しみじみ思うのは、科学や、人為的な何らかの、劇的なことがなにひとつ起きなくとも、ただ時間が経過するだけでも、人間はかなり劇的な変化を体験せざるをえないし、そうやって歳をとっていくということで(こういう感じ方と SF を重ね合わせるのは、なんとなく矮小で好きではないのだが)。もちろんタイムトラベルよりは緩慢だけども、普通に時間を過ごした人間と TT 能力者とが数十年後に再会したときに、どちらが「置いていかれた」と感じるのかは、わからんことだよなと思ったりもする。そういうこと以上に大切な、先にしかないものに辿り着くために選ぶのが、TT ということになるんだろう。