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彼氏彼女の事情再視聴関連

引き続いて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20090128#p2)。

  • カレカノみてて「これはおれに関係ねー話だから安心してみれるなー」と思うのは、もちろんこれに時代差があり、また都市部の話ということもあって、さらに 10 代における家族の話だというのが大きい。おれカテゴリでいうと CLANNAD と同じ箱。
  • で、カレカノにおける家族問題は、内面にかなりシリアスに染みてくる話として描かれていて、でもおれの当時の感覚(ということはおれを育てた環境)からいうと「たしかに面倒だし大事だけど、あんま関係ないよねそれは、ていうかうるせえ」で終わる話なので、キャラクタに感情移入する余地がない。他人の話だ。
  • べつに「親とかどうでもいい」系の話ということではなくて。どっちかっていうと、内面がシリアスになってくるのは社会人になってからだろうと思っているので、10 代からそんな真面目に考えなくてもというか。10 代で家族関係で困るのって、どっちかっていうと部屋とか金の問題としてじゃねーのかな。
  • それが心の問題として描かれていることに違和感がありつつ、まあ都市部文化エリート界隈はそんなかんじかもにゃーと思ったりしつつ、おれはそれじゃないので関係ないなー(冒頭に戻る)、という流れ。ようするに、おれは田舎育ちのオタ高校生だったのだ。どうやって生活すれば人間の暮らしをしていることになるのかの想像力も乏しい状態だったが(←いまでもあまり成長しているとはいえない)、卒業したあとは、進路がどうあれ「地元でそのまま暮らす」という選択肢は一切頭になかった。ともかく今とは別のところで暮らすことになることを疑わなかったし、事実そうなった。高校のオタライフはどう考えても楽しかったし、充足感もあり、「一刻も早くここではないどこかへ行きたい」とかは全然思わず、むしろもっと地元の友達たちと遊んで暮らしたいと思っていたくらいだが、ただ時が来れば自然とそういうことになるだろうと思っていた。何割かは地元に残り、それ以外はどこかへ行くのだ。そういうかんじだったので、好きとか嫌いとか無関係に、「いま一緒に居て、あと数年で別居することになる存在」が親だった。モノや金の問題でいえば、親元離れるのは結構な負担になるわけだが(実際ラクではなかった)、心の問題としてなら最低ボーダーは「あと数年、食わせてもらえなくなるほどひどいことをしでかさなければよかろう」というかんじになるので、わりあい気楽に接することができた。小学校の頃は屈託ゼロだったので問題なし、高校もそんなかんじだから問題なく、(親との関係とか、親が抱えている問題とか、親に負担されていることから逃げられない自分についてとか、そういう悩みが)真面目にきつかったのって中学あたりの一時期だけかもなー。
  • いっぽう、親元=都会な高校生の場合、進学・就職によって高校卒業と同時に「ここよりもうちょっとでかい街に行く」という感覚が希薄か、無いかもしれんよなーと思っていて。それが東京にもなると、東京よりでかい街は日本にないので(都心部の面積でいえば世界的にも)、「「親元=地元」を離れる=野にくだる」ということになり、若者は便利と不便なら便利一択の生物だと思うので、それにも勝る「とにかく一人暮らしをしたい!」という欲望でもないかぎり、「高校出てもとりあえず親と同居」というオプションがある状態で高校生活送ってんのかなーとか、なんとか。となると、モノより心の問題のほうにフォーカスがいくのかな。