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A に対して抱いた感情 B を、ただ「A」と表現する技法は良い

A に対して抱いた感情 B を、ただ「A」と表現する技法は良い。良いが、これはオタ的というよりはサブカル的な言語属性をもっているので、オタ側の人間としては取り扱いがむずかしい。

たとえば「Phantasy Star 0 のエターナルタワーはクソ」という感情を、ただ「エターナル」と表現するなど。エターナルタワーがクソだと思っているひとには、ただ「エターナル」と言うだけでその感情が共有される。この「言ってないのにわかる」のが、「対象 A に対する感情 B を A と表現」の効果だ。しかし「A は B だ」と言わないと、B という感情は本来伝わらないわけで、エターナルタワーはすばらしいと思っているひとが「エターナル」という表現を受けたら、表現 A が肯定的な感情として誤解される可能性が生じる。が、それはそれで構わない(実際エターナルタワーがすばらしいという受け取り方だってありえて当然なのだし)、とする態度で出されることで、表現 A の性能は完成する、という部分が、サブカル的な厄介さだ、という話になる。ようは「その表現をわかる人間を暗黙のうちに抽出する(が、暗黙であるがゆえに、その抽出結果は明らかにならない)」という都市的なアレ。わかるかわからないかは、体験や経路や当事者性などで決定される。コミュニケーションはなく、ただ目配せというか、視線の交錯だけがある。これは、めんどい。けど良さがあるのも確かで。