matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

暴力について

砲神エグザクソン

「2008 年はどちらかといえば、複雑なものが見たいブームだったけど、2009 年はどうかなー。シンプルが勝つかなー。まだしばらく複雑ブームは続きそうな気もしているが、徐々に息苦しさが勝りつつある」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20081229#p2)みたいな眠いことを言っていた年末だったけども、今日 L さんと喋って、やっぱおれたちに必要なのは暴力だろという話になった。おれはもうちょっとお上品に「暴力的な突破」みたいな技術的なイメージだったのだけど、L さんはもっとプリミティブな話をしていて、さすがだと思った。現役でいたいのならプリミティブに語れなければダメだ。

たとえば「えすのサカエ未来日記」がおもしろいのだけども、ほかのファンのひとと喋ると温度が違う」という話。未来日記は一般的に知恵とヤンデレの話とみられがちだ。が、要点はそこではなくて、「未来を読める予知能力者…同士が殺し合いをやる…という一見クールな舞台上で、殺しあう彼らがちょっと正気を疑うくらい直接的な手段に訴えるというバランス感覚」にあるわけだ。未来を読めるとか凄い能力があるのに、プロセスがすごくガサツ。いや地雷は一応間接的か。でもなあ。知能バトルなら、もうちょっと頭使ってスマートにやりそうなものだ。DEATH NOTE みたいにさあ。でもそうしない。ひとを殺すのは身体性を伴うユニークな殺意、胸からほとばしる衝動なのだと。その野蛮さ、むきだしの暴力性が、快感になっている。その箍を外すため、ヤンデレをはじめとした各種狂気設定がある。予知能力とかも本当はどうでもよくて、こいつはただ目の前の憎いやつを刺し殺したいだけなんじゃないか。その疾走感。

とかなんとか、いろんな漫画の話をして別れて、夜に M さんの家に行って「…というわけでやっぱ今年は暴力ですよ暴力」とまとめたら、「馬鹿野郎この部屋を見ろ(といってアニメ漫画ラノベとかの山を指す)、ここにあるのはすべて暴力についての話なんだよ、おれたちが暴力を求めなかったことは一度もないんだ、2009 年じゃなくて、これまでだってずっと暴力だったし、これからも暴力なんだよ」と怒られた。いやー、どうかな。かきふらいけいおん!」とかも、まあ、暴力なのだろうか…。暴力なのかもだ。