ゲーマー気質を国別で分けて考えるとへんな話になる
いろんなジャンルのゲームが各国にあり、それぞれにいろんなタイプのゲーマーが住み分けているので、ゲーマー気質を国別で分けて考えるとへんな話になる。「日本のゲーマーはこういう気質」とか言ったところで、それは「日本のうちの、そのひと周辺のクラスタがそういう気質」というだけのことで、その偏った視点から見れば外国人ゲーマーと区別がつかないような気質の日本人ゲーマーだってゴロゴロ居るわけだ。そして逆に、海外にも彼らと同じようなゲーマーが多く居ることが認識されない。とはいっても、まあ、確かに、似てるとはいえそれなりに細かい違いはあるんだろうから、「おれとあいつは同じじゃねーよ」と言いたくなったりはするのかもしれない。というあたりが素朴に郷土愛的な感情として処理されてるぶんにはいいんだけど、へんにこじれるとゲームナショナリズムに燃料供給したりしちゃうんだろうなーと思ったりもする。
- 360 は西欧のカジュアルゲーマを可視化した。ハードコアゲーマーのための機械ではない。実際ゲーム難度は、発売当初から比べて(ラインナップ充実に伴いタイトル個別にかけられる想定プレイ時間が短くなったであろうことを割り引いても)カジュアルユーザを見込んで低下してると言うことができるだろう(GR:AW の 1 から 2 への難度低下をみよ)。そしてすべてのゲームにフレンドランキングがあり、世界ランキング問題の緩和は初代 XBOX から XBOX Live の課題だったことがわかる。
- 「日本人は「必要以上にはゲームが上手くなりたい」とは思わない」とかリージョンで切ってるからおかしな話になる。「日本に限らず多くのゲーマーは」と置き換えればそれほど変ではない。COD4 の難度 Veteran クリア実績がポイントかなり多めに割り振られていたのは、そうやってウェルカムマットを敷いたうえで挑発しないと(必要以上にゲームが上手くなりたいと思っていない西欧の)カジュアルゲーマはヒリつく戦場に飛び込んでくれないという判断だったのだろうと思っている。ただ、そのての「日本人は」論が出てくることから、「日本で多数派を自認するタイプの一部ゲーマーの傾向として、世界ランキングの存在自体に耐えられないのでシステム側で自意識への圧力を緩和してくれと、自律を放棄してシステム側に要請する傾向はある」と言うことができるのかもね。でも、そういうユーザもたぶん探せば(比率はわからんけど)世界中に居るんだろうな。
- ポイントがあればそれを集計できる、というのは自明のことで。それがあることは認めつつ「でもおれはフレンドランキングでいいや」と納得する、ということができるかどうか、という強度の話な気もする。セレブが居ることは認めつつ貧乏でいいや←→金持ちの存在が容認できないので総中流幻想、みたいな。