matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

F さんを囲む会 vol.2

F さんを囲む会 vol.2

インターネットで怪気炎を上げたり上げなかったりしている F さん(タクティクスオウガオラタンが好きなひと)が最近妙に元気なさそうなので囲む会をやろうぜという話があったので参加した。おもしろかった。前回(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080419#p2)から半年ぶり。

  • 第一部は喫茶店の会議スペース、主に東方シリーズの話を聞いた。第二部はタイ料理屋、主にバーチャロンの話を聞いたような気がする。
  • 「東方のキャラクタデザインはゴテゴテとパーツやアクセサリを付け足していく系で一見センスないんだけど、あれらはすべてそのキャラクタの背景を象徴するパーツでありデコード可能なのだよ!」という話をきいた。
    • 「意味のあるビックリマンみたいなかんじ?」と聞いたら「あー」とのこと。あともうひとつ連想していたのはスパロボとかあのへん。大半のファンはなにも考えていないことが経験的に明らかだと思うけど、まあごく一部にありうるだろう問題として、またそれはごく一部であってもやはり問題であると認識したうえで、「細部を探っていったときちゃんと理由(原作なり文脈なり)が準備されていないと安心してハマれない人々(無駄になるかどうかをスジのよさで判定する態度)」問題と通じてるんかなーとか。もっともこのへん、「オフィシャルに深読み先が準備されているかそうでないか(実際に資料の多い作品と深読みビリテイが高いだけの作品は違う)」と、さらに「開発側がちゃんと結論を準備しているかそうでないか(探り当てたものが最初からあったのか、その時点で「あったことになった」のかの判定)」の ON/OFF で分岐するところかなと思わんでもない。
    • 足し算に頼ったデザインは玄人技ではなく、もちろん東方シリーズは玄人技として好まれているわけではないのだろうから、それは絵のデザインだけでなく多分作曲においても、東方シリーズはそんなかんじだろうなと思った。描き込み量でシルエットが良くなることはないんだけど、手癖でメロディラインを細かく割ろうとしてしまうという。
    • あと「東方シリーズは STG をキャラクタ表現のプラットフォームにして成功してるから偉いんだ」的な言説を聞いた。弾幕プラットフォーム化以降の話だなー。だとしたら、首領蜂ガンフロンティアが東方を準備した、とか飛ばしとけばいいわけか。
    • 「シューティングの本質はポエムだ!」「BGM じゃないのかよ!」「否、シューティングの本質は 200 字程度のストーリーにあり!」「その 200 字程度のストーリーから妄想をふくらませたサントラのライナーノーツこそシューティングの本質」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080524#p2)とかから多分接続する話で。STG に世界観をのっける様式から、STG にキャラクタをのっける形式になってきてるかんじは確かにあるね。…というのとは別に一貫して「STG に物語をのっける形式」てのもあるわけなんだけど、いまいち考えがまとまってない。
  • ロボットアニメを見る必要無くなった話
    • このへんにちょろっと書いてたか(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20071112#p2)。近年、どうもロボットアニメで、なにか見たことのないものが見れると思えないんだよな。といいつつ天元突破グレンラガンでは、一応新しいアプローチは見ることができたと思ってもいて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070911#p1)、でもじゃあガンメンってロボットである意味あるの?みたいな部分になると、どうも。おれの見方でいえばロボットってよりはプロダクトってかんじなんだよな。文脈とかでもいい。
    • ロボット漫画もロボットゲームも時代時代それなりにありはするけど、それぞれのジャンルで主流を張るというところまではいってない、やはりロボットという題材はアニメのものだよねーという認識(ここでいうロボットものというのは巨大人型ロボットを操縦するキャラクタの話、みたいな意味で、鉄腕アトムとか AI が止まらないとかは除外)。
    • 結局ロボットアニメがイキイキする題材は何なのかというと、戦争ということになる。じゃあいまのロボットアニメはもういいよ的な気分って「戦争見たくないよ」的な感情にも支持されてるってことかな。で、学園まったり生活作品とかでいきましょうって話になるのか。それもなあ。うーん。
    • 「TV のロボットアニメブームは 80 年代末まで、以降は OVA に」という話。あと総力戦的な戦争観から紛争介入的な世界観への移行は 90 年代中盤から(劇場版パトレイバー 2 とかガサラキとか)。80 年代は冷戦体制下で、ソ連のアフガン侵攻もあって「巨大国家からの侵略」にリアリティがあり、世間でも憲法改正議論が盛り上がったりとかしたらしい。90 年代の変化はソ連崩壊の影響、00 年代の変化は 911 以降ってかんじになるわけか。様式として確立された人型巨大ロボットをもってして、なにと戦えばいいんだという時代に。
    • 単なる兵器としてならべつに人型じゃなくていいよねという話にもなる。「オタクの男の子は全員ロボットとか好きだよねー」みたいな前提が無くなって久しいが、実在する兵器のオタを別としても、「人型じゃなく、ロボットともいえない架空兵器オタ」は実際に居るわけだ。いってしまえば「かっこいいメカを乗り回して活躍するヒーローの話なんだったら、それ別にガンダムとかじゃなくて、たとえばジープとかでもいいんじゃね?ジープってかっこいいしさあ」って話だ。仮面ライダーとかはある意味そうだ。SUZUKI 社とか HONDA 社とかのバイクに乗ってるヒーローがかっこいいという話なわけだから。というあたりから「アイドルマスター XENOGLOSSIA はロボットアニメとして頑張っていたんだ」言説が出てきておもしろかった。なぜ巨大兵器が人型をしているのかという理由付けとして、恋愛を持ち出すのは妥当性が高いんだと。そういや岡昌平「機神兵団」第二部でも「なぜ機神は人の形をしているのか?」てテーマは出てきたな、巨大人型ロボットものをまじめにやろうとすると避けて通れない話という気がしてきた、つまり、共感可能性だよな。
    • 「兵器としてのロボット(フェチ?)」と「人形としてのロボット(スピリチュアル?)」の融合を試みた作品として、現在ほどロボット死んだ的な気分になっていない 90 年代末に放映された「ガサラキ」は結構重要という話。そのあとメカフェチ分が死んだあとに出たラーゼフォンは「うわー」というかんじになった、みたいな話を聞いてなるほどと思った。
    • おれ自身は、ロボットとかまあ好きだけどどちらかといえばメカが好きという区分で、さらにいうと最近好きなメカというのは多分コンピュータのことなんだよね。だからロボットとかガンプラとか買わずに EM ONE とか iPhone とか買ってる。もうちょっと質量とかモーメントとかを重視するひとは車とかバイクとかを買う。あとガンプラについては、伝統的に「プラモは所詮外骨格だけで駆動系がないので、完成させても動かないからロボットとはいえない、あれはガンダムが好きなやつが買うものでロボットが好きなやつはタミヤ社の工作基本セットとか買ってきて自動するメカを作るのだ」みたいな言説があるんだけど、パーフェクトグレードのストライクガンダムを自分で作ってみて「内部の機構までちゃんと作らないといけないガンプラは、確かに動かないんだけど、結構な時間がかかる組み立て工程のなかでそこにしかない説得力を体感できる」と納得したので(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050830#p1)、ガンプラを体験しとくのはアリだと思うようになった(ただし PG 限定)。

出かけるので一旦ここまで。書く気があったら後日に続く。