STARSHIP TROOPERS 1(&2)鑑賞
先日 3 を見に行った記念ということで、SST の 1&2 を見ることにした。60$ くらいでトリロジーの BD BOX が買えるっぽいのだけど、とりあえず DVD で COLLECTOR'S EDITION があるのでそれで。三部作のうち、HD ソースで見たいのって 1 だけだしな…。
- 1
- 2
- う、うわああー。
- 1 と比べて 20 倍くらいショボくなっている 2 なんだけど、それでつまんないのかというと、全然そんなことなくて普通におもしろい話なので逆に困るというか。大予算には大予算、低予算には低予算なりの作り方があって、どういう設定でも枠内で可能なアプローチで正しさを追求すれば、映画はおもしろくなるんだという話かもしれない。とにかくにも、しっかりしているってことだよね。とはいえスモーク炊きすぎ。
- オーディオコメンタリも見た。延々予算がないけどスタッフは皆頑張ったとか喋っていて笑える。収録中に酒盛りはじめやがるし。クオリティコントロールとボリュームのコントロールのせめぎ合いが、このようなパッケージとして現れている感。スタッフブログとかも同じか。圧倒的な水準を達成しうる世界の、表通りも裏通りも全部出すという。リアリティってそういうことー。
で、そのあと 1 のオーディオコメンタリも、今回はじめて視聴したのだけど、キャラクタ描写について結構おれが受け取ったのとは違う意図が説明されていておもしろかったので、今回改めて 1 のキャラクタ描写の感想をつらつらとメモ書き。
- エース
- なんといっても本作でおれが一番好きなキャラ。初登場では嫌なやつなのだが、リコの失恋を慰めるあたりから味が出てくる。顔が長い。特技はバイオリン。調子に乗って偉そうなことを言っては殴られる。それで相手を認め、ポジションをわきまえ、そしてこれが肝心だが、陽気さを失わない。彼には彼なりの挫折と成長がある。リコが連隊内処分となり分隊長を引き継いだのはエースだったが、戦場で己を見失って適切に指示を出せず、次の昇進の機会には「自分は兵でよい」と辞退する。部下を死なせてしまった過去を忘れられないのだ。統率する強さはないが、仲間への優しさを見せる。気のいい DQN なのだな。おれは大雑把にいえば、こういうやつがのさばっていける社会はよくも悪くも安泰だと思っているのだが、現代日本はどんなもんかなー。
- ラズチャック
- ラズチャック愚連隊は「隊長に命を救われた」という理由で高い忠誠心を持っている隊員が多い。それは個人への情念で、連邦への忠誠心と似ているが違う。対してラズチャック自身が隊員たちの命を救ったのは「彼らの命を捨て置けない」という個人の感情というより、連邦兵士としての義務を遂行したのだと見える。ラズチャックが救った兵士は「まだ戦える兵士」だ。助かれば、また敵を殺す任務に復帰できる。もう戦えない兵士をラズチャックはむしろ率先して殺す。また、死ぬしかない状況に陥ったとき、ジョニーに自分を殺させたくらいだ。放っておいても死ぬ者を敢えて殺す理由は明らかではない。思いつくのは「苦痛を短くしてやるため」「敵に殺させるくらいなら、同胞の手で義務から「解放」してやるほうがマシ(殺した者は死んだ者のぶんまで義務を負うわけだ)」「戦う意志と継戦能力の両方が揃っていない者は殺すという愚連隊ルール」あたりか。
- とはいえラズチャックにまったく人間性がないのかというと、違うとも思う。彼は「全体主義体制下に生きる大人」なのだと見えた。つまり、生来の個人的情愛と、主義や信念のようなものの折り合いを綺麗につけている。だから兵士としての彼の行動は正しく、その基準で判断でき、しかしそれだけの殺人機械とも見えないのだ。ラズチャックは伍長に昇進したジョニーに「Never pass up a good thing」とアドバイスする。流動性を一概に否定することなく、かといって自由恋愛に伴う執着には線を引く、過酷な世界を生きる先達として、なかなかうまい恋愛指南のように見える。
- カルメン
- コメンタリによると、とにかく彼女は世界的に不人気だったらしい。まあ確かにいやな女ではあるけど、そんなにアレかなあ?というのはちょっと引っかかった。彼女の嫌な部分というのは「才能があり」「仕事を優先し」「しかし恋愛を切り捨てない」の三本柱を全部成り立たせようとしている部分だろう。コメンタリによると、ヒロインには「恋愛をなにより優先する態度」を求められたのだという。いわれてみればそっちのがウケそうだ。とはいえカルメンはある意味、全体主義体制下における完全な男女同権を実現した作品世界を象徴する存在でもあるわけだ。男女同権により一途な恋は女の規範ではなく、全体主義により自由恋愛は妥当な選択ではない、したがってカルメンの態度は、とても現実的で正しい。
- 彼女はただ貪欲なだけで、たぶんあんま打算とかで動いていない。地球へ向う小惑星と接触するシーンの手前、カルメンとザンダーの会話での「見たカードは全部開かせる」ような貪欲さ。恋愛で自分が振られたことがなく、仕事でも誰かに負けたことがない、そういう無邪気さに支えられ、また無邪気さを助長させてもいる。彼女はジョニーにいつも好意を示すが、それは別にジョニーを自分につなぎとめておこうとかいう意図ではないと思う。そういうふうな頓着をしていない。ザンダーが死んでも、たとえジョニーが死んでも、たぶん彼女はわりあい後遺症なく立ち直れると思う。彼女は最初から自然体で、ラズチャックの助言にあるような振る舞い(Never pass up a good thing)をしているのに過ぎない。
- しかし、そういう前半の完璧さが、後半の彼女をヌルく見せる。タンゴ・ユリラからの帰還後、ジョニー&カールと三人で会話するシーンが二回あるが、彼女はそのどちらでも、カールを大佐としてでなく「友人のカール」として扱う。ジョニーに対する視線も同様。宇宙の戦士としては腰が据わってない。そういう彼女に対して、ジョニーとカールの視線はおそらくかなり醒めている。彼女は学生時代から継続して「ただ目の前の環境に自分の資質を最適化することでより良い将来へ向っている」だけなのだが、あの時点でジョニーとカールは「かなり自覚的にファシストとしての未来を目指している」状態になっている。目指す方向はほぼ一致しているが、たぶん気分的な温度差はかなりある。
- ディジー
- カール
- コメンタリではカールの「冷たいエリート」としての部分だけが強調されていて意外だった。おれはカールを結構味があるやつだと思って見ていたので。というのは、学生時代のカールってたぶんディジーを好きだったんだと思ったんだよね。ジョニーをからかい、カルメンをひやかすのは、彼の視線の先にディジーが居たからじゃないのかなー。ジョニーとカルメンがくっつけば、晴れて自分はディジーにアプローチできる(実際卒業パーティではそうなった)。エキセントリックな天才キャラのことだから、特別深い恋愛感情ともみえないが、一定の好意はあったんだろうと思っていた(←「学生時代の遊び」の心情は軽いのだけど、重さゼロという意味ではないというかんじで)。
- それぞれの任地へ旅立つ空港(かな?)で、最後の別れの握手をするときに、理屈を並べたあと「これが最後の学生気分」とばかりに気軽さを作り直して握手に応じるあたりは、彼の甘さ、というより優しさ、または「真剣になれなさ」を表しているように見える。ハードな環境に進む前の出来事とはいえ、そういう無防備状態で出てくる資質は、結構後引くんじゃないかなーとか。
- だからタンゴ・ユリラでディジーが死んだことに対して、カールがなにかを感じたか、またはすでになにも感じない男になっていたのか、そのどちらであっても味はある(カルメンの責めるような口調に激昂しかけるあたりの冷静じゃなさには、邪推の余地があると思っている)。すくなくともディジーの死は、惑星 P でカルメンが危機に陥ったときより、彼にとっては重たい出来事だったんじゃないか。単純にカールとカルメンの二者間には、それほどの義理は感じられなかったんだよね。あるとすれば敵の罠にディジーを送り込んだこと、または現在の恋人を失い、そのうえかつての恋人まで見捨てざるをえない状況にジョニーを追い込んだこと、この二つではないのか。
とかなんとか。タイピングしてて疲れてきたのでこのへんでやめ。