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伊勢田大博覧会 2 の細かい感想

恋戦士ラブコメッサー

昨日の伊勢田大博覧会 2 会場で買ってきた「恋戦士ラブコメッサー」の DVD を見た。おもしろい。どう見てもおもしろいだろこれは。ノリいいし展開も早いし。投げっぱなしの多い自主制作アニメとして偉大なことに、ちゃんと終わってもいる(伊勢田氏はそういう「ちゃんと終わってる話」をガンガン作ってるところもすごい)。ラブでコメろ!

伊勢田勝行氏の作品を何本か鑑賞し、また伊勢田大博覧会 2 での振る舞いを見たうえで、漠然と感じている氏のイメージは以下のようになる。

  • 関西のへんなひと
    • 人口 100 万人以上の都市にしか現れないタイプの才能というのが確かにあるとおれは思っていて、それだけでなく、関西でしか育たないタイプの才能もまたあると思っている、というあたりで、このひとはおれのイメージするコテコテの関西人なのだなと感じた。
  • サービス精神が極めて旺盛
    • アプローチがベタベタで、常態として過剰。というのは言い換えれば「わかりやすさ」から軸足を外さないという意味でもある。自己完結せず、文脈で振り落としたりもせず、伝えようという態度を一貫し、そのための努力を惜しんでいない。場合によっては、しつこい、くどい、アクが強いとも受け取られるが、そのうえでも、門戸が開きっぱなしであるということ自体の偉大さは評価されるべきだと思っている。
  • 個人技のポテンシャルは総合的にかなり高い
    • キワモノのように受け取られがちだが基本的に絵は上手い。実写作品も手がけており、絵だけでなく造形もやっている。作曲もでき、ギターを弾き、歌もうまい。ついでに地声はかなり渋い。我流とはいえ自主制作アニメの全工程を独力でこなせる行動力、どうであれ仕上げてしまえる実現力、しかもそれを一作で終わらせず作り続ける情熱。それぞれの要素に病みつきになりそうな魅力がある。
  • 要素個別の完成度は低い
    • 「よくできた」感に慣れて以降の我々の感受性からいうと、氏の表現は荒削りすぎてクオリティが低くみえがち。というだけでなく、氏の活動はまさしく(氏が目を向ける範囲の)全方位に向けられているがために、どれかひとつを徹底して追及するという活動にはなっていかない。というのは、近年漠然と感じている「一人前と認知されるためには、部分に対して過剰に専門化していくという方法以外にないのか」問題と繋がってもいる。氏の活動は、おそらく(そんなことを考えてはいないだろうけど結果として)、「〇〇ができる伊勢田氏」という特定の技能によって認められるタレントとしての伊勢田氏、ではなく、「伊勢田氏が〇〇をやる」という表現自体が認められるアイドルとしての伊勢田氏、という方向へ進んでいる。自分を「突破できる型」にはめてゆくのでなく、自分自身でありつづけることによる突破。

ともかくイベント全体を通して、「これはすごくて、同時に幸薄いなー」と思った。氏の熱量はすごく、視線は熱い。常軌を逸しているといってもいい。しかし、氏の器は自分自身を幸福にするためにはデカすぎる。とにかく熱量を全方位に放射してしまうのだ。個別状況をスキップしていきなり世界と接続するアプローチだ。ということは、伊勢田氏はおそらく多幸感のひとなのだ。小さく掴み取ってかみ締めるようなひとではない。だから、「機動女学生バトルセーラー」1&2 話特別編集版からトークセッションのあとの、第 3 話上映に入ったとき、期せずして会場全体で OP 合唱状態になったときの一体感は、ほとんど換え難い体験だったと思う(←「1&2 話上映で視聴者がメロディを覚えた+ちゃんと字幕がついてるのでうろおぼえでも歌うことができた」という、イベントスタッフのひとによる段取り努力の結実だろう)。不遜な書き方になるが、伊勢田氏は「愛される資格」と「赦される資格」を自作した稀有なひとだと思う。が、その両方を受け止めきれるような場はたぶん多くない。だから、おれはバトルセーラー OP 合唱状態に感動したし、またそうした視聴者側の感動が、僅かでも伊勢田氏にも届けばいいと願った。

ところでイベント土産に参加者全員プレゼントのセル画を貰ってしまったのだが、適当な保管場所がない。困る。油紙にでも包んで桐箪笥に仕舞っておくべきだろうか。

プレゼント

セルより「ロザリオにおねゲッ CHU」の漫画原画(?)をもらえたのがうれしい。

あと、伊勢田氏のアニメーションって我流なだけあって独特なんだけど、個人的に気になったのは「アニメーション中のストップモーション撮影と、パンやズーム中のフラットモーション撮影(っていうのか?)が、おそらく無自覚に溶け合っている」という部分。一般的なアニメーション作成技法を真似した場合、全コマストップモーション撮影してもおかしくないと思うんだけど、伊勢田氏の場合単に「絵の上でカメラを動かす」ことをよくやる。なので、伊勢田作品は「ストップモーション中はガクガクして、フラットモーション中は滑らか」という可変フレームレート作品という見方もできる。氏のアニメーション技法が漫画を基本としていることが、おそらく要因として大きい。ただ、そういうある意味「フレームレートを気にしない感覚」って、どちらかといえばアナログよりデジタル以降の(非手描きな)アニメーション制作を試みてみたようなひとにこそ馴染むんじゃないかなと思ったりもするんだよなー。コマなんてスライダーで動かせば簡単にプレビュー可能、みたいな環境だと、一コマ何ミリ(この場合ピクセルか)みたいな感覚って、A 型の几帳面さとかで突き詰めはじめて以降にようやく出てくるようなかんじで。

へんな書き方だけど、「アナログなアニメーション制作を追求しているひとが(伊勢田氏は PC すら持っていないという)、たまたまか必然的にか、ある意味 Flash アニメーションに近いような独自技法に到達していること」って、なんか意味が汲み取れたりするのかなーという。