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世界消失現象

ネット以降新聞は読まない人間だし、雑誌も生まれてこのかた年に数冊買えば多いほう。TV はそれなりに見てきたと思うけど一人暮らしをはじめてからは自分でアンテナを繋げたことがないというくらいゲーム機専用端末。最近はアニメ視聴のため相当量を録画しているんだけど、それはつまり「可処分時間帯の受容でなくコンテンツを基準に選択している」行為で、リアルタイムで生の電波を視聴するという体験は、この二年ほどした覚えがない。そうはいってもまあまだなんとか世間と同期して生きてる感覚とかは持っていたんだけど、今年の夏はかなりズレを体感することになった。夏の高校野球は見ればおもしろいんだよなと思いつつスルー、今年は確かオリンピック年だから見れば熱中したと思うんだけどいつはじまったのかもわかってない。ズレてる。でもコミケが 15 日開始だってことはチャットで教えてもらって知った。そこはズレてない。まあでもコミケには行かないわけだから、そこで同期とっても仕方ない。「皆が見たいものだけを見るようになると、全員が偏ったクラスタに属することになり、誰も世界自体を語れなくなる」の体感のひとつだ。世の中の全員がそうなっているわけではないが、とりあえずその一員であるところの、おれについてはそうなって久しい。そういう人間が増えていけば、それでもより多くに目を配ろうとしている側の人間の視線を避けて離散するから、世界を把握できなくなっていく流れは加速する。世界が(系としては)ひとつになっていきつつ、足元の路地裏はどんどん深く沈んでいくかんじ。世界はひとの集まりだが、ひとが世界の部分ではないということになったとき、ひとと触れ合うこと自体は、世界とつながってることを保障しなくなるっていうか。世界を感じるために必要な観測範囲はどこまでか、あるいはどの程度観測コストを費やせば「世界を探している」という態度として納得していいのか、みたいな。