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リカイ フノウ デス

コンピュータ的なキャラが、人間の感情を目の前にして「理解不能」とか連呼し出すという古典があるが、感情優先で不合理に動くとかそんな基本的な事ぐらいちゃんとプログラムしとけよアホか?と思う。

なるほどと思い、ならどういえばいいかなーと考えた最初の答えは「憐憫可能」だった。もうちょっと SF 側に寄せれば「非論理的だ」が適切かもしれない。いっそネタに逃がせば「(ソノ理論武装デ私ニ論戦ヲ挑ンダ場合、貴方ガ)勝ツ確率ハ、ゼロパーセント、デス」とか連呼するのもいいかもしれない。

コンピュータに限らず、SF ロボ的な合理思考を規範として振舞おうとするインターネッターの台詞などでも、コンピュータ的な意味での「理解不能」は出てくる。理解できないわけねーだろダボと思ってそこで「わかるが、(以下略)」みたいに語調が変化すると、そろそろ中二病が終わって高二病なのかなーみたいな。なぜひとが本当は理解できることに対して「理解不能」と突っぱねるのか、という問題については、「それが論理的か」「論理だったとして、それが効率的か」みたいな段階でロボ規範を想定していくとわかりやすい。非論理的・非効率的・非最適・非効果的なものを「理解したくない」という反発なのかもな。じゃコンピュータに愚行権の概念を教え込めばいいわけか。

もうちょっと悲観的に考えると、進路とか就職活動とかで悩める若者とかだと「かしこく生きなきゃ!」「ソツなくこなさなきゃ!」「キャリアをマネジメントしなきゃ!」「自己啓発しなきゃ!」「ライフハックしなきゃ!」「オーラロードを開かなきゃ!」みたいなかんじで、無駄とかネガティブとかの因子に自分が染まることをほとんど恐怖するような状態になってるみたいな話とつながってんのかも。