最近の読書
年末年始は旅行中電車やバスに揺られながら田中ロミオ「人類は衰退しました 2」を読んだ。バス読書はひさびさだったのでちょっと車酔いしかけたりしたのだが、本の内容はたいへんよかった。
- 前作の感想
- 前作読んだときは竹本泉「ねこめ〜わく」を連想していて、これがこのまま続くようなら「ねこめ〜わく」で十分だわーと思うだろうと予測していたが、今作はそれを越えてきたので、読んでよかった。考えてみると竹本泉氏は、ある種「踏みとどまる」漫画家だが、一般的にそのての踏みとどまりが作風になるような作家て少ないんだから、そこは田中ロミオ氏のポテンシャルを見誤ったということだろう。二作目として、これは良い踏み込みだったと思えた。
- 前作同様、というか今回はより一層、SF として読めるかなと思ったが、ほとんどそれをやらなかった。参照可能の脳内インデックスはあるけどそれを検索するほどでもない、というかすればしたでおもしろいんだけどやる気が起きないかんじ。おれの中の人類も衰退しつつあるなーと思う一方で、そのままツルッと読める側のおれは妖精さんに近づいているのだろうかといえば、そうでもなさそうかなー単に衰退した側の畑仕事とかやってる旧人類かなとも思えて、かつそれらが全般的にどうでもよい。西の果てに旅立つエルフほどには賢くないが相応に知恵を蓄えつつ衰えてしまった、みたいな微熱症状。重く遠く鈍い痛み。いやバス酔いなのだが。
- で、おもしろかったんだけど、それとべつにちょっと考え込んでしまった。作品がどうってより具体的に、「このシリーズはおもしろいし、たぶん今後も続くんだろうけど、果たしておれは続刊を買ったものかな」といったあたりについて。このへんを契機として何度も挫折しているラノベ界隈への再入門を果たすという目的もひとつあるんだけど、おれはこの本を、なんというかふつうにおもしろがって読んでしまったのだよね。それがゆえに困った。というのも、ラノベの人気作は大概長期シリーズ化するという傾向をおれは知っていて、しかしおれはラノベ以外の本についても、基本的に長期シリーズを私有するのが好きじゃないのだ。
- 一人の作者のファンになったとして、そのひとの全作品をとりあえず買い揃えるのはいいが、そのあと読んだ本を継続して持ち続けるのは重荷だ。同じくらいおもしろいシリーズならひとつを保存して残りはまとめてひとに譲渡したりする。さらにいえばシリーズものだと大きいので、一巻完結の一冊だけを持つというのが良い。それを拡大して、同じ脳内カテゴリの作者群のそれぞれ所有している一冊のうちどれかひとつだけ残してあとは処分とかもやっていく。そういう作業を高校卒業以降ずっとやってきた。だからおれは大学以降かなり長い期間、本棚を持たずに暮らしてきた。本棚が必要になるほどの量の書籍を長期間私有することがなく、段ボールで十分なのだ(もっとも軽量だった時期は段ボールでも余った)。中古屋に売るという選択は滅多にしておらず、ほとんどがその時々に親しいオタ友に譲渡したり、または言い値で売ったりというパターンか(あげるような友人が居なかったときの選択肢が、中古屋ということになる)。
- 諸般の具体的事情や、あとオタとしての態度の問題などが相俟った結果、あまりモノを所有しないオタとして長年やってきたという経緯があって、このへん書き出すと長い。おれはオタクだが同時に身軽でなければならないと思い続けてきたし、現在の考えはちょっと違うが、基本方針として大切にしている考えのひとつだ(たとえばおれの携帯デジガジェへの欲望も、根っこを辿ればそこいらへんに行き着く)。
- だったらズタ袋一丁で十分かといえばそうでもなく、結局なんのかんのでそれなりの紙資料や書籍類は抱えているわけなのだが、それらがなにかといえば、一般流通に乗っている類の本とかではなく、数部しか刷られてない(かといってべつに希少価値があるでもない)ミニコミ誌だったり、わりあいどうでもいい写真アルバムだったり、いろんな木っ端イベントの運営マニュアルだったり、大学時代に収集した電波文書の切れっぱしだったり、なにかの打ち合わせの時配布されたプリントアウトだったり、いまとなっては何の価値もないプレスキットだったり、「最後尾はこちら」みたいな段ボール片だったりする。
- …というあたりからもわかるとおり、おれは結局「情報としての社会的価値」基準ではモノを保存し私有するということがない。個人的な何らかの体験、を象徴するもの、いわばトーテム的な意味を見いだしたものの、その持ち運べる最小単位だけを切り取って、それを段ボールに仕舞込んでよしとしてきた。ときどき箱を開けて雑多なそれらを取り出して、過去の何の体験を当時の自分が封入しようとしたのかを思いだし、忘れていれたり期限切れになっていれば捨てる。あるいは新しくガラクタを仕舞込む。おれ以外にとって何の価値もないものでよく、あるいは他人にとっても有価値であったとしても、おれにとってこそ最大の価値のあるようなもの(自分よりもそれに価値を感じ大切にするひとが居るなら、そのひとに引き渡したほうが幸福だ)、そういったおもちゃ箱内財産が増えていくこと。それがおれにとっての「オタクとしての功を積む」的な行為だ。それは経験主義や現場主義とかと近いのかもしれず、おれの考える大雑把なオタク像とは若干ズレているのかもしれない、が、それもまたおれが実践しているオタク生活のひとつとして確かなことだ。
- すさまじく脱線していったので「人類は衰退しました」に関する悩みまで戻ると、ともあれ、そのようなわけで、おれは「この本おもしろいけどシリーズとして長くなりそうだったら、やっぱり買わなかったことにして自分ではなるべく追わないようにする」という処理をたまにする。たかだか二巻目にしてそのような判断を、「人類は衰退しました」に対して下す必要があるかもしれないと思うのはだいぶ気が早いのだが、それだけこの本がおもしろかったということだろう。以前でいうと、そうだな羽海野チカ「ハチミツとクローバー」とか、二ノ宮和子「のだめカンタービレ」あたりでこうした判断があった(ラノベ判断と女性向け漫画判断で回路がかぶるのはなんとなく興味深いが余談)。ハチクロは、中盤でちょっと迷ったのだが、どうにか十巻で終わってくれたのでまあよしというかんじだった。のだめは、とりあえず四巻あたりまで掴み買いしてみたものの結局まだ開封していない、というその状況には当然漫画体力問題とかも絡んでいるわけなんだけど、やはり「これ長期シリーズ化するようなら、数冊分を私有してしまったのは誤りだったかもしれんな、誰かひとにあげて、そのひとから借りて読むという形にしたほうがいいのではないか」というチリチリした行動抑止が働いていたからでもある。あんまこのへんの気分はうまく説明できない。
で、どうしたものかというのはー、とりあえず三巻が出てから考えるか。だいぶ長くなったので感想とかは後日、思い出したら書くかもしれないし書かないかもしれない。