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ラジオクリルタイ収録見学

ラジオクリルタイ

はてなーのうちの、だいたいいつもの面子が集まるという podcast 収録の会があるというので参加。内容を結果から判断すればぐでんぐでんしていたとしかいえないが、現場で空気を読むぶんにはだいたいおもしろかった。とはいえ、このあたりの組み合わせのはてなー界隈についてはだいたい見るべきものは見たかなという気がするので、そろそろもうちょっと違うはてなー界隈についても理解を深めたいところではある。

  • 自称非モテのひとたちがめっちゃクネクネしていて笑った。彼らはまさにこういうことがしたくて、しかしその機会をあまり持てなかったひとたちなのだろうなー、そしてそれを活動の過程および成果として、このように実現できているということは、彼らはある意味で幸福だし自己を実現しているのだろうな、この状況は傍目にみれば単に幼稚なのだが、その「いい歳こいて幼稚なことができるホモソーシャル」を形成し維持することのむずかしさを考えれば、これはけっこう大したもんだと思う、それが関係者以外にとってどれほどの意味をもっているのかはともかくとして(もちろん、そんな意味などなくても全然構わないわけだし)。とか思った。
  • いや違うな。彼らがやっていることは、いはゆるジャーゴンとしてのクネクネではないな。どちらかといえば、いはゆるジャーゴンとしてのキャッキャウフフであるな。
  • そもそも非モテはクネクネできるのか問題。できるのに決まっている。クネクネは客観性と平坦でない関係性を前提とするが、それさえあればべつにモテようがモテまいがクネクネに関与することは誰にでもできる。
  • そもそも非モテはキャッキャウフフできるのか問題。イチャイチャと言い換えてもいいか。それも当然できる。できる状況・クラスタが少ないだけで。さらにいえば、機会や確率が社会的に操作できることは自明であるから、「キャッキャウフフできるか否か」だけでいえば、大したハンディキャップとはいえない。実際にこの場に居る非モテのひとたちは、web 活動をとおして確率を操作することでこの場をセッティングし、キャッキャウフフを実現しているわけだし(ただし、ここに地方東京問題が絡んでくる余地はあって、つっこんで考えるとちょっとめんどい)。
  • まあいはゆる「はてな非モテ」なんて、ちょっとオタクにもサブカルにもなれない程度に文化的に影の薄いひとたちってだけで、基本的に「ほっといても異性からチヤホヤされない人々」程度の問題だからなー。「彼女が居る非モテ」だって当然居るわけで、「彼女とイチャイチャする」の状況からも非モテは絶縁されていない。
  • 彼らが自称以外の部分でも非モテなのかといえば、それはまあそうなのだろうと思う。原理的にも、モテか非モテかなどという問題にこだわるのは非モテ側なのだろうし。
  • あと非モテの問題とは別に、非コミュという問題もある。大雑把にいえば非モテというのは「彼女ができない」という問題の原因を求めていくうちに生じるこじれであり、非コミュというのは「友達ができない」という問題の原因を求めていくうちに生じるこじれである、とも説明できる。ただまあ、このへんそもそも大雑把に説明していいのかどうかという問題がまた別にある(ものすごく定義がブレやすいからだ)。ただ、ブレやすい題材で語ったほうが関与する頭数が増えて寂しくないじゃないか、という心理も、このへんを熱心に語っているひとたちの中にはたぶんあるはずなので、そこいらへんあまり切り分けないほうがいいのかなと思わなくもない。

書きながら寝たあと次の日も全然手をつけなかったり、長らく放置していたので明日付の日記(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070804#p1)に持ち越し。