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最近のアニメ

  • 第何シーズンの再放送かわからないが、この二ヶ月ほどのおじゃる丸は傑作エピソード揃いでたいへんよかった。シリーズの厚みがあってはじめて可能の定点観測モノとかいろいろ。中でこれはちょっとすごいなと思ったのが「イングリッシュ」という回。小鬼三匹がトミーに頼んで英語を習い、みるみる英会話がうまくなっていく、というだけのエピソードなのだが、トミーの出番もあまりなく、小鬼たちのテントでの暮らしだけにフォーカスして進行し、彼らがやっているのは英会話の練習で、おいおいこれ何のアニメだよ、まあしかしおじゃるが NHK 教育の番組であるということを考えるといま展開されている状況はチャンネル的にはおかしくないというか、いややっぱりおかしい、確かに展開されているのは英会話学習だけど学んでるのは小鬼たちであって視聴者ではないし、まあ英語がわからない子供のためにも台詞は日本語訳と並行しているが、画面のこちら側と関係ない学習行為がほとんど定点のカメラで淡々と描かれ続け、普段のおじゃる的エピソードが展開されないまま放送時間の半分を越え、この無邪気なロールの放棄っぷりの見事さは何だというか、一体いつになったらこいつらはシャクを取り返しに行くんだという、ほとんど切迫感にも近い緊張が、ゆるい画面を眺めるおれの脳裏に膨れ上がってくる。アオベエの「ちょっと聞くでごんす」という台詞でようやく解ける緊張、やっと普段のおじゃるになった、今回戻らないまま最後までいってしまうんじゃないかと思った、ほっとした。というかんじ。最初続けて三回見て、そのあとも何度か見返している。決まりごと約束事が確固としてあるからこそ、それをハズしたり崩したりする芸が成立するんだなあと感心する。
  • 今日は貧ちゃん絡みのエピソードっぽかったのだが、設定間違って録画失敗してしまった…。すごい落ち込んだ。うあー。
  • 適当にオタオタしい方面のアニメ録画をザッピングしていると、何かのアニメの OP でカメラブレとかフォーカスズレとかの演出が多様されていて微妙な気分になった。おれが最初に「手撮りカメラっぽい OP 演出」を感覚したのってたぶん「超機動伝説ダイナギガ」だが(歌が鈴木結女氏で、チュンソフト「街」つながりでチェックしたんだったっけか)、まあそのへんのやつはいいのだが、手ブレやピンボケが演出として過剰になりすぎると逆に生っぽさとかではなくなってしまい、意味合いが滑稽というかポップの一種になってしまうんだなというか、そういうことを、あれから十年近く経った現在のアニメ OP を見て思った、という話。どんな素人が撮ってもここまでは手ブレピンボケしないだろというレベルで高速にブレまくりボケまくっている。こうやるのがトレンドってことなんだろうかな。原理的に走査線が出るはずのない構造のディスプレイにも、「ノイズを乗せる技法」として定番化してしまったがゆえに走査線を乗せてしまうひとが出てくるとか、それに近いなにか。
    • あとピンボケでいうと、おれは「人間にとって自分の視肉以上の視力で描画された世界は自然に見えるが、自分以下の視力で世界を見るのは苦痛である」という説を支持している(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050804#p1)。被写界深度だというなら話は別だけども、単にボケているという演出には相応の意図が必要で、様式化していいものではないと思う。