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最近の読書

「冤罪」読み終わった。おもしろかった。だらしないのもあったけど全体的にはやはりシャンとしているかんじだった。ひねくれたおっさんの黄昏話かと思ってたらいきなり「お命頂くぞ」とかいう台詞が出てくる。やるつもりのことはやるというかな。これ言うほうは覚悟決まってるからいいとしても、言われるほうの立場で考えると困るよな。宴席で酔っ払ってたらずかずか入ってきていきなりお命頂くぞて。まあ藤沢周平世界なら、悪役のほうにも相当の覚悟が決まっているのかもしれないが。いやでも「いつ死ぬかわからない」のはべつになにかおかしな覚悟というわけではないか。ただ武士の「死ぬ」には、「人を殺す / 人に殺される」も含まれていて、そこがなにか無性に怖い。

それはそれとして、あの「臍曲がり新左」の宴会中斬られて死ぬ篠井から、なんだか水戸黄門で毎度やられる悪党の気持ちとか連想してちょっと哀れにおもった。まあ仮構された悪党は単純な悪党なので人間性みたいなものへのアレはないけど、非日常(黄門様御一行)に蹂躙される日常(地元コミュニティ民)側の人間としての翻弄されっぷりにというか。虐げられる市井の民にとって虐げられるのが日常であるように、悪役にとっては悪事は日常で、いつものようにワハハと笑って帯をクルクル回したり越後屋とドゥフドゥフ笑いあっていたところに黄門様がやってきて、まず道理で負けて次に暴力で負けて最後に権威でも負けて平伏土下座。目も当てられない。この悲惨さは黄門様の善玉っぷりの鏡映しであるからしかたないともいえはする。つまり、あんなわかりやすい悪役しか出てこないのは表現されるべき黄門様がわかりやすくあるべきだからだ。もっと中途半端に、悪いこともするんだけどいいこともする代官とか、善政をしていて貧しい民からの人気とか超すごいんだけど同時に豪商からものすごい勢いで賄賂は受け取っていて私腹肥やしまくりの代官とか、悪意は全然ないんだけど無能なので頓珍漢なことしてしまって民が苦しんでいる代官とか、そういう連中に対しては黄門様はどう対処するのか。きっとそれなりの対応すると思うんだけど、黄門様のそういう姿は、たぶん TV に映るべきではないんだよな。

あと力ある正義が非日常でしかないというのは水戸黄門のある種のむずかしさか。日常側の自浄作用などなきがごとしというかな。まあ実際に水戸黄門見るかんじでは、わりと現地にやる気のある人材は居て、そいつがうまくやれるよう皆でサポートしてやる、というような話も結構あるんだけど。