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2ch っぽい人々問題反応

E3 GAIJIN

先日の日記(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060507#p1)について、にっく氏(http://d.hatena.ne.jp/number29/)と遣り取りがあったのでメモ。

にっく氏の突っ込み。

  • 「台頭してくる「元 2ch ラウンジャー」気質のインターネッターとどう向き合っていくか問題」

のくだりなんですが、そこで書かれているのは別に「元 2ch ラウンジャー」気質などではなく、勝手にそう自称している人がいるだけだ、という見解が別の「元 2ch ラウンジャー」から出ていることを注釈に入れてくれれば幸いです。

実際のところ、当時のラウンジは「飽きっぽくて常に新しいネタに飢えている」などと評されもしたのですが、だからと言って「ネットで盛り上がっている議論があればとりあえず首を突っ込む」ということは全くなく、当時の 2ch で「祭り」と称された出来事についてはほとんどがニュース速報板発で、ラウンジではスルーされ、ラウンジはラウンジの中だけで独自の内容で盛り上がっている、という性質が強かったです。ネット内外を問わず時事ネタが扱われることもまれでした。つまらないものを取り上げてわざわざつまらないとみなで言い合うような性質もほとんどありませんでした。

おれ。

本当には「オレンジレンジのパクリ問題のとき、これこれこういうふうに煽ったほうがおもしろかったんだから是非これをやるべきだ」というような話をしていた○○さんに対して、「べつにオレンジレンジ興味ないひとがそれを思いついた場合、その行動を実際にとるモチベーションは存在しないのが自然なはずなんだけど、なんでこのひとは自分の動機付け如何にかかわらず「世にある事件がそう発展したほうがおもしろいから当然そこに一石を投じるべきだ」と考えることができるのか」みたいなことだったんですが、疲れてて本題から外れたことしか書いてませんでした。

にっく氏。

うーむ、○○さんの言動だったんですね。この彼の言動はラウンジ気質というよりはまんま 2ch 気質だなあ。祭り体質というか。

急いで書いたので乱暴な説明になってしまったか。けどまあだいたいニュアンスは伝わっただろうか。もうちょっと噛み砕いてみよう。

  • 「ラウンジャー」という言い方はよくなかった。もともとおれはこれを漠然と「2ch っぽさ」としか認識していないのだが、以前ひとにこの感覚を説明した際「それは 2ch のうちのラウンジですかね」と言われたので、ああそれはそういうものかもなと納得していた。が、たぶんそのときもうまく説明できてなくて意味ブレが起きていただろう。レンジを狭めても広げてもうまくいかないというのは、視点自体ズレてるということか。
  • にっく氏の云う「祭り体質」が、いちばんすっきり収まる気もする。ちょっとだけ違うかなと思うのは、この気質は「祭り」以外の彼らの日常をもある程度律している気がするという点だが、「ハレ好きのケ」みたいな状況はどこにでもあるわけだしな。べつに祭りで説明しても問題なさげかな。もうちょっと考えたい。
  • おれが彼らに対して感じる(=彼らにはないおれ特有の性質に立脚した)違和感を説明すると、「おれの場合ならもうちょっと文脈を考える」ということだ。
    • 大雑把に、無数の文脈の集合を世間と認識して、その川辺でボサッと突っ立ってるやつがおれだとした場合、世間という図に含まれるおれもまたミクロな「おれの文脈」によって構成された存在だということになる。
    • 基本的に自分に見えている文脈だけがすべて。位相が違いすぎたり相対速度がでかすぎたりする文脈は近くにあっても読めないし、ひどくなると見ることさえできない。けどまあリテラシを上げれば対応できる文脈も広がるし、あと仕組みは理解できなくてもなんとなくこんなかんじの入力にこんなかんじの出力を返すかんじだろと学習もできる。そのへんは適当。客観が完全であるわけがないのでその文脈視は自分に内在する側の文脈群についてもいえる。
    • で、「自分になにができるか」を考える段階でいえば、おれはべつにおれの文脈を考慮しない。単にそれが可能という話なら、おれは使える限りの消費者金融等を利用して資金を集めていますぐラスベガスに飛んでもいいし、スーパーで包丁買って最寄の銀行に押し入ることだってできるだろう。だが、そのうえでおれが「自分はなにをしたいか」を考えるとき、おれは「世間と自分の文脈のなるべく一致している選択肢をえらぶ」ことを自然と考えている。おれは借金までして博打を打ちたくないし、銀行強盗とか捕まるからいやだ。とりあえず腹が減ったとき適当な飯屋で定食を注文するというのは世間の文脈とも自分の文脈とも合致しているので、借金も銀行強盗もせず定食屋に入る。
  • もちろん彼らは彼らなりに文脈の照会をやってはいるんだろうなと思うが(ノリでなんでもやっちゃうひとほど意外に空気は読んでるものだし)、その度合いはともかく判断の基準が世間の文脈重視で自分の文脈軽視というかなんというか、実際の言動の自由度が高い。裏返せば脈絡というか一貫性が、ないことはないのだろうが希薄。
    • ただし、「自分の文脈」を重視しすぎるというのもまた異常で、その異常さに発する問題はたとえば非モテなどともつながっている。極端には「男は生まれたとき誰しも童貞であるわけなので、なにかのきっかけでその文脈を飛躍しないかぎり童貞でなくなることはないわけだが、そこで「童貞である自分」という文脈を重視しすぎるひとは、なかなか「文脈を飛躍する自分」を許容できない」というかんじに応用。もうちょっと卑近な例でいえば「「任天堂社製品が好きすぎる自分」という文脈を重視しすぎて他社ハードを買うために「理由」が必要なゲーオタ」とか(まあこの例は金とか好みとかいろいろすっ飛ばしてるのでアレだが)。
    • ようはなんでもほどほどが良いという話なのだが…。
  • …というような話として書き出してみるとべつにこれ自体新しい話では全然ない。質量問わなければいつの時代にもこういうひとは居ただろう。ただこのケースでいうと、ネットの匿名掲示板という様式によって規定された部分がけっこうあるんでないかなと思っているわけなのでそこに注目していきたいかんじ。
    • たとえば「なぜああも自分の文脈を軽視できるのか」といえば、それは 2ch が巨大な「匿名の」掲示板だからだろうともいえる。匿名参加可能の場であれば、暮らし付随する文脈から開放されるというか、「開放された」と認識することが容易だ。
    • さらにもうちょっと発展すると、「ネットで物心をつける最初の場」が 2ch だったりする場合、つまりネオ麦茶事件以降の「(日本語における)ネット全体を覆うかのような勢いで巨大に膨れ上がっていくイメージのあった」頃の 2ch をインターネットの総合入口としてデビューし、そして「ネットデビュー」と「2ch デビュー」が辞書内でほとんど同義であったようなひとたちの場合、さらにいえばその時期が暮らしのうえでの人格形成時期とも重なっていたような世代の場合、その経験がそのひとの気質のかなり基本的な要素になっているんではないかなとか。まあさすがにそこまでの役割を 2ch だけにおっ被せるのはさすがにアレかなと思うし、ネット自体匿名とはいわなくても大概の場では顕名で済むという点でべつに 2ch は異例ではないのだが、「何者でもないが何者としての振る舞いも自由な大量の人々」という場の空気感に揉まれて育ったひとの気質は、やはりそれ以外の場で物心つけたようなひとのそれと同じというわけにもいかないだろう。

ほとんど勘だが階層別の例としては以下のようなかんじ?

  • 大物
    • 起業家向き?
      • テレ東用語でいうところの「マネー」の香りなどに敏いうえに決断→行動が速い。
      • 最大クラスはホリエモンとか?(氏が 2ch 民だったかどうかとかおれは知らないが)
    • アルファブロガー的存在
    • とにかくいつでもホットな話題(≒揉め事)を取り上げたり手掛けたりしている。
    • なんだかわからんがとにかくモテるが周囲には大抵へんなひとしか居ない。
  • 中物
    • 営業企画向き?
    • 振る舞い巧者
    • トリックスター
    • 揉め事周辺でコメント芸やまとめ芸を競ったり競わなかったり。
    • 特に不特定多数からモテたりしないが口説き上手。
  • 小物
    • OFF 会のマスコットまたは界隈話のネタ向き?
    • 天邪鬼
    • サイトリストカッター
    • ひどくなると粘着の餓鬼道へ
    • 人望はほとんどなし。一部の数寄者に愛されるが、恋の行方は「殻を破る力 vs 包容する力」のバトル次第。