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なんでもかんでもシステムのせいにしておけば問題ない

JR 御茶ノ水駅 | 060505

もやもや話を中途半端にメモ。

出会い系 SPAM メールには絶対乗らないひとでも、SNS のフレンドに「出会い系おもろいぜ」とか言われて URL 貼られればアクセスくらいはするかもしれない。そういうところが SNS の怖さだ、とか納得しかけたがもちろん違う。もっと基本的に村社会であるとか同調圧力であるとかホモソーシャルであるとかが説明していることで、それはべつに SNS の問題ではない。「迂闊に SNS ってつまんねーとか言っちゃうことは、それは単にきみのフレンドリストがつまらない人間関係をリスト表示していることの説明でしかない」とかそういう筋合いと同じ。まあそれもまた「人間力」的な強圧に過ぎないのだが。どちらかといえば、おもしろいとかつまらないとか、危ないとか安全だとか、そういう判断に白だの黒だのの属性をのっけて理解しようという態度がよくないということかもしれない。どうであれ「それはそういうもの」とだけ受け取って思考停止しておくのがうまい処世である気も。

それはそれとして、人間関係のつまらなさをシステムのつまらなさに置き換えることと、人間関係の性質をシステムの性質に置き換えることはちょっと違うかなという気もしている。どのみちやはりある程度「暮らしのうえでの人間関係」という基礎を母体にしている我々のコミュニケーション感覚体は、生身の関係から想像される法則や規則性が、ネット上のサービスにおいてはどのようにシミュレーションされどこがディフォルメされているかという、その「差」の部分を「システムの特徴」として理解することによって、新しいサービスのコミュニティ感を受容していく(さらにここに「生身こそがリアルである」とする感覚に対する世代間のズレとかも挟まってくる)。そうなったとき、どこまでを人間の領分として、どこからはシステムが誇張した(または生身の関係上にはないレイヤを付加した)部分とするかについては、現状うまく合意が取れない気がする。