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断片部 OFF 会

宴会

断片部の OFF 会が開催されるということを知り、なんかはてなっぽい人々のオサレな会話など聞きたいなあとたまに思うんだけどそこにジャストフィットのイベントというのはなかなかないわけなので、そういうのだったら参加してみたいものだなと思っていたが、申込方法がわかんなかったので放置していたが、直前になってわかったので、申し込んで、参加した。それにしても、はてな OFF 会 vol.2 はいつなのだろうかな。もうあのような時代は去ったということだろうか。なきゃないでいいけど。ああいうほんわかした異様さみたいな空気もおもしろかった。

最近のはてな界隈の、構造寄りの話が多いのかなと思っていたが、わりと振る舞いの話が中心で、おもしろかった。近くて遠いおれの知らんところでたくさんのマッハな世界が展開されているのだな。

おぼえている範囲でメモ。

  • 炎上系ブロガー
  • 誘い受け
  • ツンデレの一般化の話
  • ブログストーキング作法
  • ネカマレーダーノウハウ
  • まったく OFF 会等に姿をみせないというわけではないが、出現条件が厳しいのでなかなかお目にかかれないレアキャラブロガー諸氏関連の話や、むしろいっそ電子の海に生じた異種知性体ということにしておいたほうがサイトをおもしろく読めそうなネットワーカー諸氏の話など。
  • 「そろそろ○○は痛烈に DIS っといたほうがいい」に関するメタ話
  • 揉め事耐性、揉まれ慣れの話。
  • 個人と個人情報とブログの関係の話。なにを書きなにを書かないかのポリシーや、「自分を編集してアピールするメディア」としてのネットの話。
  • ブロガー萌えの話。ネットと暮らしとその狭間。「OFF 会とかで会わずにネット上の関係だけで仲良く DIS り合いたい関係」とか?そこいらへんのメタな関係妄想。
    • このへん、一連のサイト炎上騒動を通過し消費したブロガー文化は、危険な「サイト炎上(燃え)」から安全な「ブロガー萌え」を再生産したのではないのかと思わなくもない。ブロガー萌えというのは、たぶんサイトを弱火でコトコト炎上させるエンタテインメントじゃないのかなあ。
  • 「空気読んだうえで空気を読めてないふりをするのが上手い」トリックスターは希少。それこそ「振る舞い」のスキルだけで、見え方がまったく変わる。TPO の偽悪的使い分け?
  • 十代男子ブロガー問題(というか、十代男子ブログを眺めるおっさんブロガーの心の葛藤問題)
    • 十代の時点ですでにこのようなメディアに触れることができるのは、自分の過去と対比してうらやましい。
    • でも、このようなメディアがあることで、青春のくさいたまがダダ漏れになってしまっている状況などを見るとつらい。
    • 十代の自分はたぶん彼らと似たようなものだったが、自分の時代にはネットがこのようではなかったので、自分のくさいたまがこれほどオープンに他人に開示されることはなかった。それはある意味ラッキーというか、いい時代だったかも。
    • 「おまえの卒業文集が全国ネットのニュースに流れちゃうぞ(だから犯罪とか絶対にするな)!」みたいのと同じような意識?
  • 「愛される」という言葉の曖昧さと危険さ。分解できないので差別と容易につながりかねない。「好かれる」などが無難。「人間力」とかも曖昧領域への退却語か。
  • A 氏はモテモテすぎる
    • 最新の萌えられやすいキャラ立ち。
    • 「打たれ弱そうなのに強そうな振る舞いをする。そしてすぐに訂正を加える」「傍から見て全然大した DIS ではないのに「また毒を吐いてしまった…」みたいなふうに後悔交じりの述懐」
  • S 氏のキャラクタはすばらしいとおもう

S 氏は普段はわりとふつうのひとらしいのだが、おれは S 氏を今回含め二度しか見たことがなく、その二度とも宴席における S 氏はまさに「1,000 万規模以上の都市でしか見ることのできないタイプの奇人」であった。おれは S 氏のなにも包み隠すところのない純(粋な多)情さに心を打たれた。あ、多情というのは浮気とかそっちのほうじゃなくて情が深いという意味のほう。素直とか正直とかそういったレベルではない。ダダ漏れ。いうなれば若さゆえの過ちとかノータイムですべて認めるシャア。好きなものは好きといい、うらやましいものはうらやましいという。自分の領分をもち、等身大でもメタ視点でも自由に世界を展開する。嫉妬もルサンチマンもない。それは無敵ではないか。昨年以来おれの中にある「人文系のコミュニティというのも捨てたものではないのだな」という思いは、その 98% 以上が S 氏の宴席での振る舞いに拠っている。教養を持ちそれを駆使しながら、同時にあのように感受性を開放できる生き方もあるのだなと。