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読了メモ

旅行写真 | 060102

しばらく前だが「よろずや平四郎活人剣」を読み終わった。「腕におぼえあり」でエピソードを拾われているのでそっちも補完しとかないとなあというかんじで。電車読みがメインのつもりだったが、電車中ではプレイやんとかファミコンウォーズとかに時間を吸われた関係で、ほとんど昼飯時と寝る前に読んだことになる。

正史に残る時代の影で架空のキャラクタがそれぞれに暮らすという作品の雰囲気は「用心棒日月抄」シリーズと近い。シリーズの縦糸と毎話の依頼の横糸でストーリーが織り成されるといったかんじの構成もほぼ同じ。ただ、縦横のバランス取りは用心棒日月抄と比べるとちょっとデコボコしてるかんじだ。あれ、思ったよりサクっと終わるんすな、みたいなことが何度かあった。まあ用心棒日月抄の場合、クライマックスに赤穂浪士の討ち入りという大イベントが控えているわけなので、いやがおうにも盛り上がるってのもあるか。

しかし、こうして読んでみると時代小説というものは、商売としてよくできてるなあ。なにしろ最大のバックグラウンドとして歴史がある。そして歴史を題材にした作品がこれまた山ほどある。そういったものへの興味がひとつでもあれば単発の作品でも(時代に対する)副読本的に楽しむことができ、内容で魅了すればそれがまたその時代の歴史風俗を楽しむための柱のひとつとなり、新たな副読本を受け容れていく。用心棒日月抄とかはわりとはっきりそうした意図で書かれた作品に見える。誰もが知ってる歴史ヒーローの新解釈を加えるというのはおもしろかろうけど、そこで名を残してゆくにはいかにも道が細い、だったら誰でも知ってる事件の同時代に生きた誰も知らない侍を主人公にしたドラマを描けば、多数の中の一でありながら唯一となり、シーンを盛り上げつつ自分もうれしい仕事ができるというような。もともとそういうのが性に合ってたってことでもあるんだろうけど。