sambo mastered
それがいまだにわかってないというのは、つまるところ評判に興味を持つことのできないおれの性格の問題だなと思いつつ、サンボマスターがいま世間(←これもどういった範囲を指せばいいのか?)でどのような扱いになってんのか微妙に気になってはいる。というのも、
- ひと「(プレイやんの SD カードを指しつつ)いま何入ってんの?」
- おれ「小島麻由美とサンボマスターすよ。あと中田ヤスタカ」
- ひと「あー、サンボマスター。非モテの音楽っていう」
- おれ「へー(いろいろ飛び散ってるなあ)」
というようなことがあったからだ。ふつう話題というのは誰のものでもなく時空に曖昧に存在していて、個々人の記憶や知識はそれが飛び散った飛沫として形成されているのかなあと思った。そうしてこびりついた模様を世界観として人間は生きる。情報化が進むと細分化・断片化が進むので、サイケデリックな模様も増えてくる。
音楽とモテるモテないを結び付けたがるのはジャンルとしての音楽が好きなひとたちなのだろうと思ってるんだけど(←「対異性問題はなにやってようがどのみち避けられないという前提があり、音楽に傾倒している自分という認識があり、音楽好きである自分のライフスタイル上に対異性問題も関連付けることができればラク」というよーな、正直あんま関係ないのはわかりつつも関係があったことにしておこうという意識なり無意識なりが働いてんじゃないかなと想像)、そこいらあたりとかも関係した伝言ゲーム上で「サンボマスターのモテなさそうなイメージ→(ひっくりかえし)→モテないやつはサンボマスターを聴く」みたいな亜種が生まれたんだろうか?それとも全然違う筋合いから?