中庭都市はてな のメモ
「ひととひととが出会うためには場が必要」という感覚の話。
サーチエンジンは、ひとと情報が出会うために機会を提供しているサービスの一種だ。はてなキーワードは、情報を集約し分配する「場」としてひととひととの出会いのきっかけを提供している、ようだ。そうでないのかもしれないが、たぶんそういうものだろうととりあえず思っている。
前回(といっても十ヶ月ほど前だが→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040714#p1)、はてなダイアリ全ユーザの日記を全文検索するサービスがあれば、はてダキーワード「暑い」に関する諸問題は問題として認識される必要がない、というところまで考えた。でもその機能ないんだよねはてな。なぜないのかは知らないけど、これが制約によるものではなく作為によるものだと仮定して、そこにありうる意図を妄想してみるとおもしろいかもしれないなあと思った。
感覚の話にすぎないのだが、
- サーチエンジンの検索結果画面は動的な印象で、なんというか「その場限りの結果表示に過ぎない」という感覚。それでは情報にたどり着いた時点で満足してしまい、ひとの縁につながらない。
- はてダキーワードの画面は静的な印象で、そこを「場」だと認識しうるかも。それを場だと錯覚することができれば、錯覚できた者同士には出会いの機会が確保される。
わりと重要だと思う。
ネットはネットでしかなくそこは本来空間でも場所でもないんだけど(じゃあなんだといわれれば「ネット」としかいえない)、それでもそれを利用するのが人間である以上、人間がネット以外で使っている感覚を移植することで、不自然でないコミュニケーションを促進することができているのかもしれないなあと思った。あまりに厳密に「空間」に喩え過ぎ、空間的制約に捕われてしまうと、ネットでなら本来自由にできることなのにまるでそれができないこと、やってはいけないことのように思われてきてしまうという問題もあるけど(たとえが極端だけど「ホームページは家のようなものなので、居間に勝手に直リンクするのは他人の家に土足で上がりこむようなもの」みたいなのとか)。うまく導入することで手っ取り早く理解され、導入しすぎないことで硬化を避ける、というあたりが妥当か。
そういうこと考えつつ喩えると、はてダっていうのはプライベートな空間(日記)と半パブリックな空間(キーワード)がうまい具合に配合されたおもしろい設計の都市なのだなあと思う。ふつうの日記サービスはプライベートのほうしか提供しなくて、半パブリックなどという空間はない。私的生活の場としての日記があり、また住民以外にも公開されているが手入れの権限は市民だけが持っているキーワードという「場」が用意されている。中庭付きの団地というか。イスラム風の、中庭を囲い込んだ四角い集合住宅を連想した。
…と、そのへんまで書くつもりだったんだけど眠気に負けた。ということを先日チャットしてて思い出したのでいまさらだがメモ。