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千と千尋の神隠し

おれは自然に「もとの世界へ戻った千尋は、湯屋での暮らしのことを忘れてしまっている」と思ってたんだけど、どうもそういう受け取り方だけが自然というわけではなさそうだなと思ったのでひとにも聞いてみることにした。

  • 考えたことがなかったけど、言われてみれば忘れてそう
  • 一回いい加減に見ただけなので、最後どうだったのか忘れてしまった
  • とりあえずラストのトンネルあたりでは忘れてないんじゃないかなー。一見、行きと変わっていない車内、何も覚えてない両親と不思議な経験を通じてわずかに成長した千尋…っつう構図の方がひと夏の冒険モノとして美しい気がするし。その後、車内でうたた寝とかしながら忘れるんじゃないですかね。すごい虫が出る夢見た気がする!とか。
  • 記憶がおぼろなんですが、最後、外に出てから振り向きましたっけ?としたらその直前でしょうか。忘れてないけど、意識できなくなっているとか、通しで思い出せなくなっている、とかそーゆーのもありかな。
  • 一回も通して見てない
  • ああ、振り向くだか凝視するだかした気がする。その後にあれですよ。すごい虫が出る夢見た気がする!って風になったんだと思います。

とりあえず、千尋はユーザからあんま愛されていなさそうだなと思った。あとおれもだんだんすごい虫が出る夢を見た気がしてきた。

虫の夢はさておいて、そういえば銭婆が記憶に関する台詞を言ってたということを思い出した。

「じゃ話が早いよ。一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」

銭婆は間違ったことをいうまい。千と千尋の世界のひとたちは、そこであったことを忘れないが、思い出せなくなることがあると。じゃあ千尋もたぶんそれだ。忘れてるってのは適切な言い方ではなかった。思い出せなくなっている、だ。

まじめに考え出すと謎の多い千と千尋終盤のことなので、どれをヒントにしていいかちょっと自信のよりどころが見つけづらい。針を一本通せればスルスル解けるのかもしれないんだけど解けたら解けたでたぶんつまらんしな。ともかく気になっている点の多くは「妙に展開がせっかちなこと」と絡んでくる。せっかちだから説明が不足してるのかもしれないとか、そういう納得の仕方もできなくはないが、あんまそれだとおもしろくないので別の解を探したい。

ハクと別れるシーンからすでに怪しい。作品中最後に映るハクの姿。(こういう書き方は変だが)ふつうだったら去っていく千尋を遠くで見送ったり手を振ったりするところじゃないかと思うところ、そのようには描かれない。千尋が前へ踏み出し、離れた手をゆっくりと降ろすカットが最後となる。つまり最後に映ってるのは「ハクの手」だけだ。もうこの時点からハクの存在は(千尋の世界から)消えかかっているのではないか?だから最後が顔の分かるカットや後姿ではないのではないか?

振り向いてはいけないという約束を千尋が明確に記憶しているかどうかも疑わしくなってくる。両親と再会したあと千尋は一度後ろへ振り向きかける。が、ふとそれをやめてトンネルへ入っていく。あくまで「ふと」だ。脳裏にハクとの約束が思い出されたというような印象の強さが感じられない(強い印象なら目元の演技が入るはずだ)。さらにいうとここで一度銭婆の髪留めが光っている。不自然にというほどではないが、意図された光に思える(振り向きかけて、それをやめて進む二回髪留めが光ってもおかしくないアングルになるが、実際に光るのは振り向くのをやめたあとの一回だけだ)。魔女のお守りが「それとなく危険を選ばせない」という効力を発揮しているかもしれない。

まとまらないのであんま書くつもりなかったけど、この際なのでメモっておくが、これが一本通せる針かもなというのが「もとの世界での千尋を取り巻く環境」についてだ。千尋は謎の多い人物なんだよなかなり。父と母が居て、引越し途中であることはわかるが、それ以外の情報が全然出ないので、千尋の反応から推測するしかない。銭婆や湯婆婆への「おばあちゃん」という言い様から祖母との因縁とかは妄想できるが、これはいまのところドラえもんにおけるのび太とおばあちゃんくらいのものなのかな程度にしかおれの中で広がらない。けどキーっぽくはあるよなあ。

以下、現時点での千尋の家族に関するおれの妄想設定。成立させるためにはもうしばらく叩く必要あり。

  • 湯屋に行くまでの「もとの世界」の描写は幻想。湯屋の世界での千尋の行動があのような結果を生んだことから、記憶(及び因果)が矛盾を含まないよう訂正された。
    • 「入っていくトンネル」と「出てきたトンネル」が別物であることから、どちらかがフェイクであるという可能性は支持可能。
      • ただしこれについては、入ったときのトンネルから車までの距離と、出たときのトンネルから車までの距離が違うことから、あのモルタルのガワを取り払えばああいう景色差になるとの合理的説明も可能。←さらに突っ込んで「トンネルに向かって左側に入る時は斜面があったが、出るときはなくなってるように見える」等の問題もなくはない。
  • 千尋の両親は、千尋を道連れに心中を図った。たとえば父親の事業が失敗して夜逃げとか。ただの引越しではなかった。転校もどのような扱いだったか疑問。ただし千尋は事情を説明されなかったろうし(ただの引越しで転校だと聞かされた確率が高い)、察することのできる年頃でもなかった。黄泉の国へ行き、そのまま死ぬはずだったが、千尋が生き続ける結果を選択し実現したために、過去が訂正され、もとの世界の現在へと戻った。戻るための因果は千尋を基準に再構成されたと推測できる。両親も含んでもとの世界に戻ったのはそのほうが千尋にとって自然だからではないか。
    • 心中するため森の中に無理やり車で乗り入れ、トンネルの中に入っていったのではないか。トンネルに最初に入ったのが父親であったことに注意。千尋に分からないなにかを共有・優先し、千尋を省ない両親。薄い膜に包まれたような不安を感じながらも両親について行くしかない千尋。どうにもあのあたりの描写は不吉に感じられて怖い。
  • 黄泉の世界のほうが夢ないし幻想であった説は支持しない。作中で千尋の行儀作法が向上している点から。自分の夢の中の出来事なら自分の持ち物や考え方に基づいた成長しかしないのではないか(←「中二の正義感に基づく世界は、中二以上の世界観を包括した帰結を原理的に産めない」説と同様)。社会の実体が外在しなければあのような種類の成長は描かれないはず。
    • あれが千尋の妄想でなく、たとえば千尋の祖母の妄想であったとかそういう場合ならありうると思う。祖母がすでに他界しているかまだ生きているか、どちらの場合も考えられる。

いろいろ気になる点はある。おばあちゃんの件や、両親との距離感の変化。黄泉での出来事は千尋の自立として作用するのだろう。具体的に思い出すことがなくても、心のどこかで千尋の背中を支える。千尋が抱きつくのはハクと銭婆だけで、復活した両親には抱きつかない(トンネルの中で母親の腕にはすがりついているが)。あれも気になるんだよなー、走ってきて飛びつくのかと思いきや直前で立ち止まってる。豚になっていた過去から「目の前の出来事が消えてしまうのではないか」みたいな怖れがあったのかもしれないが、なんとなく納得しづらい。まあそれだけとおれが思いたくないだけかもしれないが。

両親はトンネルから出る前、千尋を待つため振り向いている(というか最初から手前を見ている)。両親がもとの世界に戻るための主体的役割を果たしていないことを示しているように思える。これが「両親がもとの世界に戻るのは、ちひろの因果の一部としての存在価値を評価されてのことで、それ以上ではないのではないか」(ちひろのための存在でしかない←だからといって以降の両親が千尋に都合よく振舞うという意味ではない、千尋が居て当然と思うのは「ふつうの両親」のはずだから)という考え方の基礎になっている。