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フォースの暗黒面

Da

なぜオタはオサレサブカルを忌み嫌いますか?という問題についてあまりまじめに考えたことがなかったんだけど、まじめに考えたところでうまい考えが思い浮かぶわけでもなく、それはなぜかというと前提とする知識や考察が不十分だからで、とはいえ足りないまま放置していても風化するだけなので、ここらで一旦書き出しておいて後々のための防風林としたい。

雑然とメモ。

  • 「オサレサブカル」という用語
    • サブカルの何たるかを定義づけられるほどサブカルに詳しいオタは、それはもうほとんどサブカルさんと言ってしまってもいいほどサブカル寄りな存在であって、大抵のオタはサブカルのことを大して詳しくは知らない(だからというほどのことでもないがオタ出身のサブカルさんは、サブカル化したあとそれを自覚するまで期間が長い)。意味合い語であって意味語として使われていないかんじ。オサレについても同様。意図された用語ではない。オサレとサブカルは別対象を指すほぼ同義同等のニュアンスとして認識されており(「まあなんか別のもの」程度には差異が認められているが、だからといってではそれぞれはどういうものを指すかは重視されていない)、オサレサブカルは、自体としては単にそのニュアンスを二重強調した表現でしかない。
  • 「すべての物語は、いずれ必ず消費される」という前提
    • その前提に対する立場としてオタとサブカルの対立(というかオタのサブカル敵対視)は顕在化する
      • オタ:「しかしそうであっても、なるべく物語を消費したくない」という願望を捨てない(永遠はあるよ派)
      • サブカル:「消費されるものは消費されちゃうし、自分でもしちゃうよ」と現実を受け容れ拠って立っている(←物語消費を怖れない)
  • オタとサブカル
    • オタはほとんど本能まで根付いたオタ性によってサブカル的なものに反発し、サブカルサブカルで話題自体は共有可能であるのにも関らず内容面でまったく噛みあうことのできないオタを避ける傾向にあり、つまり一見して近い位置で反発しあう存在に見えもするが、その境界線は曖昧で、転向は抑止されていない。地方では区別されていないことが多いし、周囲からの抑圧が充分に高い環境下であれば特に問題なく共存可能。
    • ただし、オタ→サブカルはあっても逆は非常に稀。「知識見識は不可逆汚染」であることから。
      • 社会は常に洗脳を(時には同時並行して複数)受け続けている状態とも言えるため、なにかの拍子にスイッチが狂えばサブカル→オタもありえなくはない。
  • サブカル
    • おれはなにしろオタなもんだから、サブカルについてよく知らない。
    • まあとりあえずのところは、オタでもサブカルでもないひとから見ると、両者の区別がつけづらいのはわかる。
    • オタからサブカルになってゆく流れがあることもわかる。
    • しかし、オタを経由せずにサブカルになってゆくひとたちのことはよくわからない。ていうか最初からサブカルとしてサブカルになってゆく方法ってあるのかな。ないとすればサブカルは、いうなれば上級ジョブ(←ベースクラスで一定の経験値を積んでからでないと転職できないクラス)ってことでいいのか。

で、それとは別に、最近妙におれの中で「新世紀エヴァンゲリオン」の再評価が進んでいるのだが(根は一緒のなにかが推しているのかもしれない)、ていうかこのあたりはオタ論壇系のひとたちの思考の流れを数年遅れとかで追っかけてるのかなーと思わなくもないのでちょっとあれなのだが、ともあれこの二つを絡めると、

  • エヴァンゲリオンの最終話あたりで、はじめて「本気でアニメ作品を憎む」という非常事態に陥ったアニオタは、アニオタとしての自己の保持よりもエヴァンゲリオンへの攻撃手段確保増強を優先し、自らアニオタを捨ててサブカルへ転向することによってエヴァンゲリオンを消費し、そうすることでエヴァンゲリオンへの復讐を果たそうとしたのではないか、または、そのように誘導されたのではないか

と考えることもできる。これを踏まえれば、以前(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20030319#p1)は違うと思ったが、「エヴァンゲリオンはオタにとどめをさしにいったアニメだったか否か」について、あれはあれでとどめを刺しに来ていたとする見方ができるのかなと思った。

北風と太陽の話でいえば、北風にアニオタからアニメを剥奪する力はないが、太陽はアニオタにアニメを捨てさせる力があるとして、アニオタがエヴァンゲリオンを、それに復讐するためなら自身のサブカル化も辞さないほど憎んだなら、アニメを着つづけることをできなくするという誘導が可能であったのかもしれない。これは太陽の立場とは違ったものだが、自発的な行動を促すという戦術では共通していて、そんな現象があったかどうかは知らないが、すくなくとも実現可能性はそれなりにありそうかなと思った。なぜそう感じられなかったかといえばもちろん、おれがそうならなかったからで、エヴァンゲリオンの影響下にあったひとでなければ感じ取れない殺意であるのかもしれない。呪いと復讐。ただ、思うことならいまとなってはできる。

ということは、エヴァンゲリオンショックでシス化したたくさんのダース・ベーダーを成仏させるため、いまどきの若オタのひとたちを主人公とする SW EP4〜6 が存在してくれなければ困る、という世界観もおもしろいかもしれんな。

ようするにおれがいま漠然とやっているエヴァンゲリオン再評価というのは「当時エヴァンゲリオンの影響下になかったことを原因とする、現在までに続いているオタとしての自分と社会のありかたへの、エヴァンゲリオンの影響の分析」のことだ。