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一連の藤沢周平分補充活動まとめ

ここ最近で読んだ藤沢周平氏作品のまとめ。05/26(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040526#p2)の数日前からはじまって06/22(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040622#p4)で終了している。ほぼ1ヶ月。藤沢周平月間だな。本屋に行ってとにかく手に当たった藤沢周平氏作品を買ってそれを読むというかんじの進め方だったし、特に順列とかに意図があったわけではないし、それを通じてなんらかの意思的な活動をしたいというわけでもなかったので、いちおう日記としては感想のカテゴリのものだが、あまり感想というような感想はない。

読んだ順(←たぶんこんなかんじという程度の信頼性で)。

  • たそがれ清兵衛
  • 麦屋町昼下がり
  • 蝉しぐれ
  • 三屋清左衛門残日録
  • 暗殺の年輪
  • 秘太刀馬の骨
  • 霧の果て 神谷玄次郎捕物控
  • 隠し剣秋風抄
  • 竹光始末
  • 用心棒日月抄
  • 孤剣 用心棒日月抄
  • 刺客 用心棒日月抄
  • 凶刃 用心棒日月抄

というか、漠然と感じていたことなんだけど、世の中には「感想を書きやすい作品」と「感想というような感想が出にくい作品」があるんだよなーと、一連の読書を通じてさてこれを日記に感想として書く、のか?とか思ったときに、そういう感覚が表面化してきた。いや違う、ここでいう「感想」というのは、広義でいうようなそれではなく、なにかもっと限定された、しかし身近な、なんというか…具体的なもののことで、それがたとえば藤沢周平氏作品のような性質の本などとは相性がよくない。藤沢周平氏作品は、いいとか悪いとかあれがおもしろいとかこれがおもしろくないとかいうような一般的な書きやすい感想がスルスル出てくる種類の本ではないのだ。そしてその感じ方は、どこかおかしい。おれが無自覚に判断しているその「感想らしい感想」「一般的な書きやすい感想」というものは、その妙な基準は、いつからなぜおれの中にあるのか。そもそも感想について、そうした基準を設ける必然があるようには思われない、ということは、それはおれが意識的に作ったものではなくて、おれの活動によって結果的にできあがった基準だ。