matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

涼宮ハルヒの憂鬱

昨年の、審査員全員一致のスニーカー大賞受賞作(大賞が出たのは五年ぶり)らしい(→http://d.hatena.ne.jp/mkomiya/20030611#p5)。

この本読んでやっぱりおれはエロゲー文体を読むのがどうにも辛いのだなということがよくわかった。「涼宮ハルヒの憂鬱」の文章はエロゲーっぽい。どこがっていうと全般的にとしかいえないし、そもそもあんまエロゲーシナリオ読んでるわけでもないのであれだけどもなんかそんなふうな印象(←つまり偏見をもとにした印象なので、実際にまじめにエロゲーを遊んでみたら全然違うのかもしれない)。全体は今風のエロゲーっぽいんだけど、ただ、ちょっと古めの作法も混じってるかんじだよな。主人公の、あんまりおもしろくないんだけど「おもしろしゃべりです」とラベルの貼ってあるかんじの独白とか(←これは、おもしろくないおしゃべりであることを前提として成立している様式で、もしおもしろかったら様式が不成立となるので「おもしろくない必要」がある)。あのへんは伝統的な香りがする。おれがあの血脈は死に絶えてると思ってるだけで、ほんとは今風のエロゲーにも残ってるのかもしれない。

でもなんとか最後まで読むことができた。「Kanon」を遊ぼうと思い立ってはみたものの最初に学校に行く途中あたりまで読んで力尽きたおれが!「月姫」を遊ばなければと決意して即日買ってきた(当時プラスディスクはまだ出てなかった)まではよかったが、パッケージをとらのあなの紙袋から決死の思いで取り出すのに半年、渾身の力でキャラメルパックを破るのにまた半年をかけ、その後の一年でインストールするためにトレイにディスクを置くところまでは何度かいったものの、インストーラを起動する気力を搾り出すところまでは辿りつけなかったおれが!(←それ以降になると「文字にアンチエイリアスがかかっていない世代の ADV は、なにか必要にかられなければ遊ばない」という脳内ルールが策定されたので検討外となった)やっぱ紙メディアの可読性の高さは偉大だな。逆にいうとエロゲー文体の読みづらさには、モニタ横書き状態で物語を読む場合の可読性の低さの成分も含まれているということだから、おれが感じているよりは、多少よみづらくないのかもしれない。縦文用のフォントで縦長モニタに対応したエロゲーとかが出ればそこいらへんの因果が詳らかになるのか。

おもしろかったのが、この本読んだひとに感想聞いたら全員が「うーん、微妙」だったこと。あれはいいけどこれはダメみたいなかんじではなく、なんとなく悪くはなく強いていえばいいのか?みたいな評価。失点が少ないので平均点が高くなる式みたいなアレだと総意は得やすいかんじか。そこいらへんの感触は「ああーなるほどこの作品がスニーカー大賞を受賞するっていうのは、逆算して考えればすごくよくわかる話でもあるな」という部分にもつながっている。そのほかには、なんつーかそのースニーカー大賞における「おじさんが褒めておきたい若者のイメージ」みたいな部分とか、その周辺とか。

どちらかといえばおもしろいほうだと思う。すくなくとも不真面目な本ではないと思った。自己(世代)言及的な世界構築も、むしろライトノベル上で直球をやるための、いまどきでは正当派の部類と言っていいのだろう。そのうえでわりかし古いことをやっている。こうなれば拙さも武器のひとつだ。おじさんは喜ぶだろう。若者のことは、わからないが、それは谷川流氏の今後の評価によって明らかになっていくんだろうなあと思った。