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関係ないけど今ふと中学校んとき、サムライトルーパーってトムライサルーパーと言い換えるとあほっぽいかんじだなとか言ってたら、クラスだかクラブだかで一緒だったヤオイ女子のひと(図書委員)からカバンの角でぶんなぐられたことを思い出した。うちは母がけっこうバイオレンスなひとだったので女から暴行を受けることにおれは慣らされていて(「熱湯と刃物以外は甘んじて受け続けていればいずれ武器のほうがおれの体より先に壊れるのでそういうモードになったときはなにもしないのが最上」という経験学習)、そういう意味でのショックはなかったけど、その子はわりと普段からおとなしめなひとだったのでちょっとびっくりしたかなあというか、ああやっぱりこいつ(その子)も母のようにおれの理解が及ばないのに言動が及んでしまう不用意なエリアで突然沸点を超えることがあるのかと思い、家庭でも学校でもけっきょく変わらずおれに逃げ場というのはないんだなとか、さびしいような悲しいような感想を持った記憶があるような、ないような、まあ年月を経て言語が複雑になったので今書くとこんなかんじになるけど。場に対する妥当な対処としては、もっと驚いてみせて謝っておくべきだったのだろうと今なら思う。

配慮が足らなかったというより当時のおれはやおい文化に関してあまりに無知だった。というかやおいの対象となる作品(つまりチーム制少年バトル漫画)自体にあまり興味がなかった。キャプテン翼聖闘士星矢やおい作品は、当時とかそれより以前から(←記憶が曖昧なので「たぶん」だけど)アンソロジーとして商業ベースでも出版されていて、ド田舎だったおれの近所の本屋の奥まったコーナーでさえ見つけることができたが、そういったものとオフィシャルの(つまり集英社から出版されている)単行本との区別も実はあまりついていなかった。
あーなんか版型が違って絵柄も違うかんじの本がべつの出版社からも出てるんだなー、という程度の認識しかなかった。運動部所属の友人などには、ちゃんと週刊少年ジャンプとかを毎週買って学校に持ってきてるやつとか居たけど、きっと彼らの中の特に熱心な層は、ああいった大判の本のほうも読んでるんだろうと思っていた。当時は角川社がメディアミックスだーとか言って、ひとつの作品についていろんなブランドや版型の本が出ていてもおかしくはなくなりはじめていた頃合だったし、あと超人ロックとか火の鳥とか「どこでどう続いてんのかよくわかんないけどともかく話としてはつながってる(らしい)」というような作品に対する理解とか、そういったごちゃごちゃしたものの中のひとつとしてそういうものもあるんだろうというように、誤解して済ませていたかんじだろうか。