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最近、大瀧啓裕編「暗黒神話体系シリーズ クトゥルー」を適当につまみ買いして読み返している。ああ馴染むなあこのかんじ。これこれ。中坊神経を刺激する深淵感とかぬぞぷり感てんこもり。宇宙的恐怖とかあらゆる意味でおれの人生と関係なく無責任で、食字快楽素材として最高ニャルラー。

ラヴクラフトものの訳にはいろいろあるけどやっぱりおれにとってはこの大瀧氏によるシリーズが馴染む(たとえば Cthulhu は、クトゥルフよりク・リトル・リトルより個人的にはクトゥルーがしっくりくる」というような感触も含んで総合的になんとなく)。初心者におすすめ感が高いというのも好印象。逆にこのへんから入るとへんなクセがついてしまって初心者-中級者の階級闘争を誘発してしまいがちなのかもしれないけど(ファンコミュニティ的なものにあまり深く立ち入ったことがないのでどこらへんが「界内標準」なのか知らない)。

それはそれとして、しかし、最近でまともに本を落ち着いて読める時間というと「めし食ってるとき」なので、行儀が悪いけどもおれがクトゥルー読んでる時間というのはだいたい食事中だ。そんでやっぱりラヴクラフトものはめし食ってるときに読むもんじゃないかなあとかちょっと思った。

あとおれがこのシリーズ最初に読んだのって確か中学の時だったんだけど(まさに中坊神経全盛期!)、そのときに「ラヴクラフト氏とダーレス氏ではダーレス氏のほうが初心者ウケが良い」というような文章読んで「うーむオタ的にラヴクラフト氏のほうがイイというのは頭で理解しつつも確かにダーレス氏のほうが話が簡単なんだよなあ」とか、屈辱(←この己に対する屈辱感はオタにしか理解できない)を感じながらも納得せざるをえなかったのだが、今読んでみるとラヴクラフト作品のほうが理解しやすくてそのへんの感覚差がおもしろかった。てことはいずれおれは「「千と千尋の神隠し」のちひろより「火垂の墓」のセツコのほうが萌える(マジで)」とか言い出すのか。どういう筋合いかなこの脳内ラジオは。

「銀の鍵の門を超えて」について、当時やたら感動した覚えがある。幸いにしておれは乱読系のオタで、かつ当時は時代的に読者コミュニティの基盤も弱く薄かったから(=まだ世界地図が見えなかった頃)、個々の体系を個々として関連付けることもなかったし、それこそ星野之宣「2001 夜物語」とかそういった作品と大差ない方角に配置して楽しんでいたけども、生じてしまったあの種の情動が強力な読者コミュニティの対話能などに支えられて価値付けとか意味付けとかにリンクしてしまうと、たぶん Kanon 信仰とかそういう行動に走ってしまうんだよなあ中坊神経症を患う年頃のオタはたぶん。物心ついたときにのっけから「地球は丸い」と教えられてしまうオタが不運に見えてしまうのは、まあそれはおれが年を食ってしまったということなんだろうけど。

そこで新世代を担う優秀オタの場合なら「いやなにいってんすかこのおっさんは地球丸くなんかないっすよ十四次元上でなら表現できますけど」とか言い出しちゃって彼らは彼らの世界の形をきちんと見出していくんだろうけども、そういうのばかりじゃないしな世間は。