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ワラッテイイトモ、 / K.K.

ワラッテイイトモ、

N さんと「ワラッテイイトモ、」(http://www.google.com/search?hl=en&lr=&c2coff=1&q=%22%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%A2%E3%80%81%22)を見てきた。何度か見ようと思っては寝過ごしを繰り返していたので、ようやく見れたというかんじ。おもしろかった。一見の価値はあった。

ワラッテイイトモ、」というのは、TV のバラエティ番組「笑っていいとも!」(http://www.fujitv.co.jp/b_hp/iitomo/)を主な映像素材にした MAD ビデオのようなものだ。のようなものというか、手法自体は MAD ビデオそのものなのだが、通常の MAD ビデオと違って一応一本筋の通った主観(編集者の視点)が存在し、それが連続しているために一個の作品のようなものとしてその映像は出来上がっている。自前でかなりの量の素材を用意している点も「ふつうの作品」としては当然だが、「MAD としては」珍しいといえば珍しいのかもしれない。とはいえこのあたりの混合率はそのまま編集したひとの、編集をした時点での個性の表現として理解するのが自然だしふつうだろう。作品はジャンルではなく、強いていえばタイトルに帰結していくものだから、「ワラッテイイトモ、」の理解は基本的にはそれを「ワラッテイイトモ、」として見ることではじまり終わる。きっかけはきっかけとして、現物は現物として、ああなるほど、そういうかんじかあと、楽しく見ることができた。

ただ、おれ考えてみれば「笑っていいとも!」自体をあまり見たことがない。人生の中でたぶん 20 回くらいか。開始から終了まで通してみたことは一度もない。子供〜高校までは、昼間 TV をみる機会がほとんどなかったわけだし、まともに見る機会ができるとすれば大学以降なんだろうけども、もともと TV 見る習慣がないので飯屋とかでかかってない限りは目にする機会がない。それでも一応まったく知識がないわけではなくて、歌とかは一応知ってんだけど、番組の様式とか知らないんだよね。なのでいはゆる「元ネタを知らない MAD 見るのは正しい視聴方法か否か」みたいな問題を抱えてはいたんだけど、大丈夫だった、「ワラッテイイトモ、」は「笑っていいとも!」を知らなくてもたぶん問題ない。映像の「こういう気分への理解」だけあればあとは大丈夫。それは大学生越えたボンクラ男ならだいたい大なり小なり持ってるはず。

あれだなおれの中で「笑っていいとも!」は「散髪屋で見る番組」にカテゴライズされている。おれが髪を切りに行くのは大抵昼時で、そして散髪屋ではバラエティ番組が好まれる傾向があるので、おれと「笑っていいとも!」の接点といえばまずそこだということになるというか、ほかにない。むしろ「「ワラッテイイトモ、」の視聴時間」=「人生で最も長時間連続して「笑っていいとも!」の映像(素材)を見続けた時間」になった。

さて、今回は作品自体だけではなくて、上映会場もなんか妙なかんじでおもしろかった(http://doodle.at.infoseek.co.jp/gfx/040131_01.jpg)。UPLINK GALLERY(http://www.uplink.co.jp/gallery/)というところで、ええと、ここ(http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=139%2F43%2F49.683&pnf=1&size=500%2C500&nl=35%2F42%2F22.155)かな?

細長くて狭くもなく広くもない会場の正面に、大小さまざまな TV(丸いやつ)が縦横雑然と積んであり、その脇にはビデオデッキの山。上下ひっくりかえってるものもある。こんな置き方してるとぶっこわれるよ TV。実際中央のでかい TV 以外はかなり映像の状態が悪く、ほとんど砂嵐になってるものもあった。むしろわざと映り悪くしてるね。で、座席とかそういうものはなく、適当にベタっと床に座ったり立ったままでとか適当に流れてる映像を眺めるかんじ。手前のほうにはちいさな TV とビデオとヘッドフォンが、こちらはきれいに並んでいて、個別に鑑賞できるようにもなっていた。

これがいいわけかこの空間的には、はたまたしかし「ワラッテイイトモ、」的にはどうか?とか思いつつまあそれとは別にこういうディスプレイをしてみたいぜ欲的なものはわりと嫌いじゃない。なんか「n 年(←n には任意の整数が入る)のビデオキッズ」とかそんなかんじだ。または遅れてきたオサレ MAX HEADROOM みたいな。「ワラッテイイトモ、」の内容と合致するのかどうか一概には判断できないが、これはこれでボンクラっぽいところのあるデザイン精神ではないかなあと思った。虚飾にだって力があることは否定しない。アンティークではなくレトロ。早稲田のオサレサブカル界隈の雰囲気っていうのはだいたいこんなかんじということでいいんだろうか。もっと定食屋のにおいのする文化かと思っていたんだけど。逆に田町のオサレサブカル界隈っていうと「モロにアンティーク」な例しか知らないので、ひょっとしたらあれか早慶の対比ってレトロ←→アンティークっていう視点も取れるのか?とかちょっと思ったりした、が、なにしろサンプル数が少なすぎるので勘違いかもしれない。

入場制限とか特になくて、いつでも出入り自由。上映終わっても客の出し入れとかなし。手前のほうで個別に視聴してるひとの場合開始終了の時間もまちまちだから、どうもしないほうがいいかんじか。

そのほか。

  • TV は個別にコントロールされてて固有の演出があったりするのかなーと思ったが(つまりこのモニタ配置を活用したスペシャルエディションちっくな演出が入ったりしたらすげーなと一瞬思ったが)、まあさすがにそんなことはなくてすべてのモニタに一つのプレイヤから分岐された映像が流れていた。
  • 特におもしれーなと思ったのが、これだけ凝ってディスプレイが為されている正面の「ワラッテイイトモ、」が、ビデオデッキではなく DVD デッキで再生されていたこと。この会場に漂うレトロ精神は、まさしくこの一点に凝縮されているのではないかと思った。それはインチキを大肯定してみせるバイタリティのことで、工業的に作り上げられた個性に拠った繊細さの表現でもある。ようするに「言うまでもなくここに "ホンモノ" はない、だかそれがいいこともあるだろう?」というかんじの。

あと、上映開始・上映終了で一応人が入れ替わるんだけども会場のスタッフのひとがそれを厳密に管理誘導しているわけではないことから、「前の回が終わってひとが入れ替わって、適当にみんなが思い思いの場所に座って、正面の、べつになにが映っているわけでもないし、黙っていてもその状況が変化することはないとわかりきっている、TV群を、ぼーっと見ている状態」が発生して、それがすごくおもしろかった。一応「あのデッキの再生ボタン押せばいいんだろうな」というのはわかっているのに、誰も動こうとしないし、誰一人喋らない。明らかに連れ合いで来てるひとも居るのに黙って座っているだけ。喫茶スペースのほうから漏れ聞こえる会話を尻目にしてその場にいるおれを含めた全員が「DVD デッキの待機画面が映っている TV を、なんにもせずボーっと見ている」というのがおかしくってしょうがなかった。なんなんだろこの状態、見始める前から「ワラッテイイトモ、」に取り込まれてるのか?複合状況でなければ起きないだろう、とすればけっこう稀な経験だ、まず立地、それにもちろん客層とその混じり合わせ、さらに会場のディスプレイや上映方式、そして「ワラッテイイトモ、」。…とか思いながらニコニコしていたら、スタッフのひとがやってきてデッキの再生ボタンを押した。

帰ってから、違う会場で「ワラッテイイトモ、」を見たひとに「会場のディスプレイってこんなんでしたか?」と写真見せて聞いてみたりしたんだけど、ほかの会場はほかの会場なりのディスプレイで、こんなふうではなかったらしい。ともあれ、作品と会場の、それぞれの内容と、それぞれが合ってるような合ってないような微妙な部分を含めて、一粒で三度くらいおいしかった。