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意味の在り処、価値の保障

↑の記事によれば、00 年時点での地球の総質量は 5.972x1021t だという。

この数字それ自体はさして問題ではないが、しかしおれにとってこの数字はとても意義深い。たぶんおれが南無阿弥陀仏みたいな言葉を求めるとしたらこういった形になるだろう。醜いものも美しいものも、ひとが捉える言葉も価値も、有形のものも無形のものも、地球のうえで産まれて生きる限りにおいて、すべてこの 5.972x1021t という具体的な数字のうえにのっかっており、またはのっかっているわけではないが、保障されている、ということだからだ。根っこを辿った最後の最奥、絶対の保障。その保障は定義できないしする必要がない(←よそから定義しようがしまいが関係なく、なくなったり突然変異したりせずそこにあり続けるからこそ、それはなんらかの保障になりうる)。けれども観測することは自由だ。自分たちがのっかっているもの、自分たちが生み出したものや産んでしまったものたちを繋ぎとめ受け止めているモノを、それぞれの視点やそれぞれの基準で宣言してみることには意味があると思う。そういう例のひとつが 5.972x1021t なのだと思う。自分が信じるものを保障するもの、に対する信頼の、表現の仕方のひとつ。

べつに地球の総質量が本当にこの数字であるかどうかは、だから問題じゃない。

絶対が絶対でなくなるときのことを心配する必要はない。なにがどうなろうとおれは地球より早く死ぬ。

おれは死体になっても地球によってその死体を保障されるだろう。地球がバラバラになったり、なにかのはずみで宇宙に打ち上げられたりするまで。この絶望的なまでの安心感というか、そういった類のものが、あれかなースペースノイドなひととかからすれば度し難いのかもしれないなと思っている。団塊ジュニアの不動感(←「我々は、みじめであっても、誇らしくとも、将来にわたって数十年間世代区分において多数派であり続けるだろう」)(http://www.ipss.go.jp/Japanese/newest02/3/z_5.html)にあぐらをかいている傲慢さと、それは似ているかもしれない。

そういうのは、ものは言いようというか、言葉あそびとかでいくらでも作れる錯覚みたいなものなんだけど。